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047 100年以上も前に、トーキー映画? [1900年、パリ万国博]

047 100年以上も前に、トーキー映画?

 1900年、パリ万国博覧会―2

音声映画と万博ドキュメンタリー映画 
 

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●フランスの人気女優サラ・ベルナール 1898年(M31)頃 
 と ミュシャによる「ジスモンダ」のポスター

 前回からの続きです。

1900(M33)年の第5回パリ国際万国博では、まだとてもトーキー映画とは呼べないながら、音の付いた映画が上映されました。また、すでに立体画像の原理は解明されていましたから、赤青メガネで見る立体写真も上映されたようです。つまり、誕生してわずか5年、115年前の〈動く写真〉は、早くも手彩色ながらカラー映画の体裁を持ち、試験的ながら音声を備え、更に立体映像までもが一通り登場しているのです。

  ということは、写真が動き出したとたんに、このように現実の時間と空間をそのままの状態で〈コピー〉することが当然のことのように発想されていたということです。1900年のパリ万博はまさに、映画がタイムマシンとしての
機能を備えるための試金石ともいうべき場であったのです。

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●赤と青の色眼鏡で立体映像を見る観客 ただしこのイラストは1890年のもの

●映写は手回し。音声は蝋管蓄音機。

フランス人フェリクス・メスギッシュは、1896年リュミエール社が始めた「シネマトグラフ世界紀行取材班」の技師として北米各地を記録して回っていた経験者ですが、パリ万博では音の出る映画「フォノラマ」の技師として参加していました。1880年代から蓄音機と合体させて音の出る動く写真の研究を始めた科学者は何人かおりましたが、彼は仲間と三人で同時録音用のマイク式蓄音機を開発し、「シネマトグラフ」と同調(まだ同期と呼べるような技術ではない)させる音声映画の特許を取りました。

それを聞き及んだ大西洋汽船会社が、「これは話題になる」とパビリオンのスポンサーになっていました。パリの街頭風景では、雑踏、話し声、物売りの声など。歌手の歌なども上映されたようです。パビリオンの装置とフィルムの現像はゴーモン社が請負い、フィルムは例によって手彩色による擬似カラー映画として上映されました。


●名女優サラ・ベルナールも出演。

一方、クレマン・モーリスの映画劇場「フォノ・シネマ・テアトル」では、お芝居の音声映画を楽しむことができました。彼はポートレート写真家というコネクションをフルに生かして、知り合いの俳優や歌手を集めました。

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●左/「フォノ・シネマ・テアトル」のポスター
   最下段に「ハムレット」サラ・ベルナールとある。
 右/ミュシャが描いたサラ・ベルナールのポスター(部分)

中でも話題を呼んだのは、舞台の人気女優サラ・ベルナールの出演です。1870年以降、大女優の名を欲しいままにし、エジソンが発明した蓄音機の蝋管にも彼女の声が録音されているという彼女。そして1885年には、彼女をポスターに描いた無名の挿絵画家アルフォンス・ミュシャを一躍有名にし、そのポスターによってアール・ヌーヴォーの象徴と称えられた彼女が「ハムレット」の主役を演じ、台詞を話し、迫力満点の決闘シーンを見せてくれるとあっては、人気が高まらない訳はありません。

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●「ハムレット」で主人公ハムレットを演じるサラ・ベルナール(左)

  「フォノ・シネマ・テアトル」ではこの他に「シラノ・ド・ベルジュラック」「才女気取り」といったおなじみの出し物が、音声を伴って上映されました。

観客は音声をラッパ型の拡声器で聞くか、各自がイヤフォンで聞く形式だったようですが、スクリーンで演じている役者の台詞が動きといっしょに聞こえてくることに、どんなに驚いたことでしょうか。

サラ・ベルナールは当時56歳ですが、1907年以降フランスに興る「フィルム・ダール」という映画運動に参加して中心的な役割を果たしていきます。




●音の出る映画も、手回し映写で音合わせ。

 また、パテ・フレール社も「シネフォノグラフィック(映画蓄音機)」と称するものを出展していました。これも蝋管蓄音機の音声を拡大して聞かせるものです。
 撮影も映写も手回しの時代です。どの音声映画も機械的に画面と音声を同期させる方法は考えられておらず、映写室の映写技師は蓄音機の音をイヤフォンで聞きながら、画面とうまく合うように、映写機の回転ハンドルを回していたのでした。

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●パテ・フレール社による音声同調映画。
 右の映写技師が、音声と映像が合うように映写機のクランクを回した。



●時代遅れの「キネトスコープ」も使い方次第。

 ところで、1900年パリ万博の映像展示の中に、前回紹介した超大型映像とは対極にある小規模な展示上映のイラストがあります。

並べられた数台の映写機は、50フィートフィルムをエンドレス上映するエディスン社の「上映式キネトスコープ」のように見えます。小さいスクリーンの後ろからそれぞれ別々の映画を映していますが、次から次へと順に移動して観る映像展示手法として、11分程度の長さがちょうど良かったのでしょう。

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●図中央の仕切りに設定されたスクリーン窓に映る映画を順番に見ていく展示方式。



   
各社こぞって、会場記録に映画が大活躍。

地元のリュミエール社、スター・フィルム社、パテ・フレール社、ゴーモン社はもとより、アメリカのエディスン社も加わって、博覧会の情景は克明に映画に記録されました。

 特にスター・フィルム社のジョルジュ・メリエスは、他社の追随を許さないコンテンツとしてパノラマで撮影することに主眼を置きました。実はあの360度シアター「シネオラマ」のグリモワン・サンソンから、撮影機を360度回転させることができる回転軸のアイディアを提供してもらっていたのです。
  早速、自分の所有するロベール・ウーダン劇場で機械仕掛けの自動人形を組み立てている技師にそれを作らせました。「シャンドマルス」「セーヌ川から見たパノラマ」「アンヴァリッド」「シャンゼリゼ大通りとプチ・パレ」など会場の様子を活写した360度パノラマ映画はこうして生まれました。

 各社とも、自社が販売した映写機用のコンテンツとして世界の代理店に供給するために撮影されたフィルムは、図らずも20世紀の始まりを後世に残す貴重なタイムカプセルとなったのでした。

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●リュミエール社による万博記録映画 1900

●無音 90秒
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●可動歩道 遅い/中間/速い・・・三連の動く歩道

★1900年、パリ万国博覧会の記事はまだ続きます。

 次回はパノラマ。といっても仰天パノラマ。またまた奇想天外なお話になりますよ。








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