SSブログ
2024年04月| 2024年05月 |- ブログトップ

最終回 フィルムからデジタルシネマへ [手回し映画時代の終焉]

 ★以下は2015年1月1日の記事です。


SN00005.png

映画がフィルム(アナログ)の時代からデジタルの時代に変わりつつあります。
どこが変わって、どこが変わらないのかを考えると、
映画の本質と映像のゆくえが見えてきそうです。
21世紀の夢物語を聴いてください。


 
 

、映画フィルムの世界的メーカーがその製造を終了するという告知以来、映画産業においてデジタルシネマに関する情報がかまびすしい。120年に及ぶフィルムの時代が幕を閉じ、これからは製作~配給~上映まで一貫したデジタルシステムで運用される時代になるという。社会的、経済的影響やメカ的な解説は専門家に譲るとして、ここではメディアという側面から展望してみたい。

 まず言えること。それは、デジタルシネマは一般家庭では当の昔に定着しているということだ。「地デジ」と呼ぶテレビ送信方式への転換時点。「16 : 9」というアスペクト比(画面の縦横比)を持つ「ハイビジョン」が登場した時からである。今日私たちがテレビやネット上で視聴する映画は、すでに10年も前からデジタルシネマの形で「配給」されている。時代の潮流とは、このようにいつしか音もなく忍び寄ってくるものなのだ。


 次に、映画は、フィルムからデジタルシネマに変わったところで、その創造性、記録性、娯楽性、芸術性は変わらないということ。むしろ重くて大きいフィルムマガジンや、フィルムを駆動するモーターや歯車などのメカニズムが不要となることで軽便になったカメラは、「製作」段階で行動範囲や撮影領域を広げ、より自由度の高い映像を得ることができる。また、撮影後のポストプロダクションにおいては、完璧なまでにリアルな3Dの進化により、もはや描けない世界がないくらいだ。俳優の演技だけではなく表情までもCGに置き換えて架空のキャラクターを作り上げるモーションキャプチャ(パフォーマンスキャプチャ)はその最先端に位置している。





図200.jpg



 


人は映画誕生以来、背景と登場人物、音声、色彩を含め、その「時空間」をフィルムという二次元の時間の帯にコピーし、いつでも復元できることを望んだ。それは洋の東西を問わず人間が抱く必然の願いであり、業ともいえるもののようだ。ノンフィクション、フィクションの別を問わず、映画は現実のコピーマシンであり、タイムマシンでもあるのである。


写し撮られた画像は「虚像」でありながらスクリーンでは「主体」を占め、客体である「観客」は常に「虚像の実像化(実体を備える映像)」を夢見て、映画を進化させてきた。その映画がデジタルで製作されるようになって、これまでの二次元表現の限界が解き放たれ、虚像の実像化への想いは大きく進展した。


DCGアレルギーの観客は、その技術に拒絶反応を抱くのではなく、描かれる事象、例えば不快感を催すグロテスクな世界や怪奇な生き物、あまりにもリアルな残酷描写などに対して反感を覚えるのであって、今や建築、医療、教育、福祉などあらゆる分野で不可欠となっている3DCG の技術そのものを否定している訳ではないだろう。この例に見るように、デジタルシネマにはこれまで以上にコンテンツの質が問われるようになるはずだ。


panorama.jpg●19世紀に人気を呼んでいた巨大パノラマ●●

図1.jpg 
●19世紀の人々の願いを20世紀が叶えた。20世紀の願い(虚像の実像化)は21世紀が叶えるだろう。


 




 19
世紀後半、一世を風靡した360度の巨大パノラマが、20世紀、映画の発達による大スクリーンの登場によって廃れてしまった。それはパノラマが見せようとした広大で奥行きのある景観を、描かれた絵以上にリアルな描写で映画が実現したからに他ならない。


3D効果がすべての映画に求められる訳ではなく、21世紀における3Dデジタルシネマが通常の二次元描写のデジタルシネマを駆逐するはずはない。けれども3DCGが映像最先端技術であることは間違いなく、その向かう先は自分自身がヒーローとなってアバター(分身)を意のままに操り、バーチャルな世界で活躍できるゲームの世界がそれを暗示している。また、ヘッドマウントディスプレイによるプレイでは、まさに自分自身が「主体」となって行動できる。それはもう映画を観る「観客」という客体ではなく、「観主」とでも呼ぶべきものだろう。


@sigVAIO.jpg 
●左/オーディオアニマトロ二クスのリンカーン(エプコット)
                 




 


ウォルト・ディズニーは、自分が生み出した虚像であるフィルム上のキャラクターたちを実体感のある立体像にしたかったが、3Dに向かわずに、オーディオアニマトロ二クスと呼ぶリンカーン大統領の極めて精巧なメカニックによる「分身」をつくり上げた。また、アニメのキャラクターたちの立体像は、ディズニーランドのステージで歌い踊る「分身」の形で実像化を試みた。現在の彼なら「カリブの海賊」をバーチャルリアリティシアターとして作り直すかもしれない。


ヘッドマウントディスプレイの来場者はサーベルを身に着け、真っ暗い地底を手にしたたいまつで照らしながら下りていく。彼は囚われている姫を救出するためにやってきたのだ。いろいろな試練が待つ迷路のような道を進むと、入江に停泊している海賊船を発見。自分も発見され、襲い掛かってくる等身大の海賊たちとのリアルな戦闘が始まる……。コースは幾通りか設定されているので、リピートで何回も楽しむことができる。

 こうして21世紀は、「映画」が「映像」というより広い概念で語られる時代になった。
 それでも尚、実体感を伴う「虚像の実像化」は更にその遥か彼方にある。


nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

078 手回し映画は、次の世代に託された。 [手回し映画時代の終焉]

078  手回し映画は、次の世代へ託された。
         ハリウッド主導の映画の時代へ

グロリア・スワンソン.JPGグロリア・スワンソン.JPG
●グロリア・スワンソン サイレント時代の彼女は知らないが、1920年代の映画界の裏側を描いた「サンセット大通り」(1950)は超おすすめ。
1950 サンセット大通り.JPG●ラストの鬼気迫る演技は圧巻

 第一次世界大戦は、民主主義を守るという名目で最後にアメリカが参戦したことで1918年11月11日、一挙に終結。けれども、映画先進国だったフランス、イタリア、イギリスを初めとするヨーロッパ各国の映画産業は戦争で衰え、唯一ハリウッドだけが急速成長を遂げていました。
 1920年代、映画は手回し・サイレントの時代からようやく電動式・トーキーの時代へと進むことになり、映画創生期のお話はここに終わりを告げます。

IMGP8361.JPG IMGP8360.JPG
●400ftフィルム使用の電動式撮影機 サイレントだから1秒16コマで1巻約10分


●廃墟として残った破天荒の城壁
 「ローリング・トゥエンティ」と呼ばれるハリウッドの黄金時代が幕を開けても、サンセット・ブールバード(大通り)脇の草むした広大な広場には、まだあの古代バビロンの幻「イントレランス」(1916)の大城砦が廃墟の姿でそびえ立っていました。

 D・W・グリフィスは、誰もが思いつかなかった4つ時代の物語が時空間を超越して並行進行するという、現在の言葉でいえば奇想天外な「パラレル・ワールド」的着想と、誰もがなし得なかった前代未聞のスケールを持つ「イントレランス」に、"これぞ、映画
"、という絶対の自信を持っていたはずです。

 そしてそれこそ、映画が絵画や写真とは決定的に異なる、時空間超越のタイムマシンの原型であり、例えそれが興行という面で失敗作とされたとしても、芸術としての「イントレランス」の評価は揺るぎないものであるということも。 

IMGP8885.JPG
●「イントレランス」のオープンセットは1925年頃まで残されたままだった。

 今ここに、崩れかけても未だ威容を誇るそのセットを感慨深げに眺めている青年は、ウォルト・ディズニー、22才。
 3年前、1920年に始めたばかりのアニメーションの事業に失敗し、ハリウッドに活路を求めて兄と2人で故郷カンザスシティから鞄一つで出てきたばかりでした。

 映画監督になりたくて、ラ・ブレア通りに面したチャップリンのスタジオの前を行ったり来たり。思い切って「ユニバーサル」社のスタジオに乗り込んだのですが、「監督は間に合ってるよ」と断られ、「パラマウント」で最初の「十戒」(1923)を撮っていた大監督セシル・B・デミルのコンテを書いたりしているのでした。
(ディズニーはこの3年後にユニバーサル映画のカール・レムリを紹介され、「しあわせうさぎのオズワルド」シリーズを作るようになります)

デミル.JPG カール・レムリ Carl Laemmle.jpg
●セシル・B・デミル               ●カール・レムリ
IMGP6555.JPG IMGP8929.JPG
●「しあわせうさぎのオズワルド」とウォルト・ディズニー

 「イントレランス」の廃墟は、映画が手回し・サイレント時代の終わりを告げる象徴とも言えるものでした。映画の基礎を築いた世代が、次の世代にバトンを渡そうとしています。 
 そこにはすでに、ディズニーのように新時代を切り拓く映画の申し子のような才能が集まり、世界一の映画産業の舞台となったハリウッドの空気を高揚させていました。
 特に戦後、ヨーロッパから優秀な監督や魅惑的な女優がたくさん流入したことも、ハリウッドの振興に大きく寄与することになります。第一次世界大戦中には、ようやく望遠レンズを使えるレンズ交換式の撮影機も登場しました。


●今日のメジャー映画会社は、1920年代に揃い踏み
 D・W・グリフィスは1915年の「国民の創生」(1915)と1916年「イントレランス」(1916)の2作で現代に通じる映画の文法を生み出したことで<映画の父>と讃えられ、世界映画史にその名を刻みました。

 
1919年にグリフィスは、自分が見出した女優メアリー・ピックフォードとチャールズ・チャップリン、ダグラス・フェアバンクスと4人で映画会社を創立します。それが「ユナイテッド・アーチスツ」です。

グリフィ ス.jpg  IMGP8928.JPG
●D・W・グリフィスと「ユナイテッド・アーチスツ」の創設者たち 1919  

 これでハリウッドには、すでに最古参のカール・レムリの「ユニヴァーサル」をはじめ「MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)」「20世紀フォックス」「パラマウント」「コロンビア」「ワーナーブラザース」といった今日につながるメジャー会社が揃いました。 

UNI.jpgMMGM.jpg

20そ.jpgpara.jpg

CKOO.jpgなちちち.jpg

WBB.jpgRKO.jpg 
●右下/一時ディズニー映画を配給したこともあるハワード・ヒューズ(映画「アビエーター」1904 のモデル)のRKOだけは現在消滅している。
 

●映画は次の世代に受け継がれた
 
 このあと映画は、D・W・グリフィスが生み出した映画技法を「映画の文法」として理論的にまとめ実践したセルゲイ・エイゼンシュテイン、フセボロド・プドフキンといった人たちに受け継がれます。

 ルイス・ブニュエル、フリードリッヒ・ムルナウ、ジャン・コクトーといった人たちは、映画の可能性を広げる実験的な作品づくりを進めます。
 文芸のジャンルではロベルト・ヴィーネ、フリッツ・ラング、アベル・ガンス、といった監督たち。また、ロバート・フラハティなど、記録映画にも名作が現れてきます。
 一方で映画は娯楽の頂点に上り詰め、楽しさを創造する監督や俳優たちに引き継がれます。

 創造性と芸術面を支える技術的進化も著しく、
1927年以降トーキー時代へ。1935年以降はカラー、1953年以降ワイドスクリーン、ステレオ音響の時代へと発展して、今やすべてがコンピュータ仕様、映像はCG全盛の時代へと至った訳です。

IMGP8899-2.JPG

●「映画前史~映画誕生」を終えるにあたって
 この「タイムマシン創世記」は、古代から書き起し、「映画前史」「映画誕生」「映画創生期」と3期にわたってサイレント映画時代の終わりまで、ほぼ80回の連載となりました。
 みなさんもご存知のチャールズ・チャップリン、ウォルト・ディズニーが登場したところまで、ようやくつなげることができました。(と言ってもまだ私自身生まれていない
1920年代ですが)


 では、なぜこのブログを終えるのか。ここでその疑問に答えておかなければなりません。
 ここまでのお話でみなさんは、映画は写真が動いたとたんに、どの開発者も例外なく「色彩」と「音声」に思い及び、さらにはすぐに「立体」効果をも考えた、ということを思い起こしていただきたいと思います。

 実はこのような映画は、ヨーロッパでもアメリカでも、映画誕生直後からそれぞれの研究者によって「総合映画」「完全映画」としてイメージされていたのです。

 とすれば、現在の映画は、技術的には全くその延長線上にあるにすぎないのです。つまり、今日の映像技術は、ある意味で、120年前に思い描かれた究極ともいえる映画のイメージを、現時点の最先端技術でスケールアップしてきたにすぎないということが分かります。

 従って、私が語りたいのは〈人はなぜ、このようなものを考え出したのか〉ということですから、ここまでご覧いただければ、この後のトーキーの誕生、総天然色カラー時代、ワイドスクリーン登場、3D映画出現と続く映画技術史を、いちいち詳細に追いかける必要はないということがお分かり頂けると思います。

  

 ところで通常の映画史は、人物あるいは技術を単位に語られることが多く、それは知識の取得としてはいちばん簡潔で分かりやすいのですが、では、いろいろな人物がどのように絡み、技術が相互の関係の中でどのように発展していったのかという全体の動向を同時代の流れとしてとらえたいと思うと、それではなかなか把握しにくいのでした。
 私の興味は、時代のタイムラインをベースに、研究者や技術がどのように絡み合ったのかを知りたかったのです。人物同士の交流や技術情報の伝播は、研究開発とは決して無縁なものではないと思ったからです。

 例えば、リュミエール兄弟やトーマス・エディスンが映画の研究に乗り出そうとしたとき、他の研究者はどこまで進んでいたのか、とか、ジョルジュ・メリエスとシャルル・パテはどのような立場と関係だったのか、とか、いう具合です。
 このような視点をこのブログに持たせたかったため、「創世記」という物語形式をとってみたのですが、成功したとは言えず、同一人物が何回かの記事に分かれたりして、かえって複雑になってしまった感があり、反省しきりです。
 その代り、書物なら何度も巻頭の登場人物紹介をめくり直さなければならないところを、1回単位でご覧いただいても
人物や技術が分かるように、写真のフォローには気を使いました。その分、継続してご覧いただいている読者には、うっとおしく感じられたかもしれません。

 とにかく、資料を繰りながら感じたことは、第七芸術と呼ばれる映画というメディアの奥の深さです。それは映画が創造や表現という感性の世界だからだと思います。またクロスオーバーする技術の発展経緯、人間関係の興味もありました。
 この映画前史から映画誕生までの物語は、初めは仕事に関連して、その後は自分自身の生涯学習として始めたものですが、ご愛読頂いたみなさんのおかげで、当初から予定していた着地点を迎えることが出来ました。本当にありがとうございました。



これまでに採り上げた主な人物は下記の通りです。
  左袖の「記事検索」欄に下の氏名をコピーし、リターンキーを押すと関連記事が提示されます。

◎映画の機械的な基礎部分を作り上げた人たち
エドワード・マイブリッジ、エチエンヌ・マレー、オーギュスタン・ル・プランス、フリーズ・グリーン、エミール・レイノウ、ジョージ・イーストマン、ウッドヴィル・レイサム、
トーマス・アーマット、チャールズ・ジェンキンス、リュミエール兄弟

 
◎映画の表現手法の基礎を見出した人たち
ウィリアム・ディクスン、リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエス、アリス・ギイ、エミール・コール、エドウィン・ポーター、D・
W・グリフィス、トーマス・インス、ビリー・ピッツァー

◎映画を事業として拡大した人たち
トーマス・エディスン、ロバート・ポール、シャルル・パテ、レオン・ゴーモン、カール・レムリ

◎初期のムービー・スター
ブロンコ・ビリー・アンダースン、フローレンス・ローレンス、メアリー・ピックフォード、リリアン・ギッシュ、メエ・マーシュ、マック・セネット、ウィリアム・S・ハート、チャールズ・チャップリン、


デル株式会社


nice!(41)  コメント(4)  トラックバック(1) 
共通テーマ:映画

077 10年残った、夢の跡  「イントレランス」② [大作時代到来]

077 10年残った、夢の跡
    
D・W・グリフィス「イントレランス」②

コンスタンス・タルマッジ.JPG
●コンスタンス・タルマッジ

前回からの続きです。

●豪華絢爛。本格的ピクチャー・パレス時代到来
 「イントレランス」D・W・グリフィスお抱えのリリアン・ギッシュ、メイ・マーシュ、フレッド・ターナー、リリアン・ラングドン、コンスタンス・タルマッジ、そして2年後の1918年にターザン映画第1作「猿人ターザン」で売り出すことになるエルモ・リンカンなど、売れっ子俳優によるオールスターキャストで製作費は190万ドルという超豪華大作でした。
 
 イントレ ポスター.JPG 
●「イントレランス」 ドイツのポスター           

P1060371.JPG エルモ・リンカン.JPG
●ターザン映画第一作「猿人ターザン」1918 と主役のエルモ・リンカン
  
 製作に丸2年を擁し、撮影されたフィルムは10万メートル。グリフィスははじめ8時間の映画にする構想でしたが、さすがに会社や映画館側は反対。結局半分以下の3時間半に短縮されて、1916年9月、前作「国民の創生」を初公開したと同じニューヨーク/ブロードウェイの「リバティ劇場」で公開されました。

IMGP2730-2.JPG
IMGP8874.JPG1910年代半ばの映画館.jpg
●1915年以降1920年代 ピクチャー・パレスのイメージ

 残念ながら手元に「リバティ劇場」のデータがないのですが、大作映画時代を背景に出現した当時の映画館とは、どんなものだったのでしょうか。それはピクチャー・パレスの呼び名通り、豪華絢爛の映画宮殿。その先鞭をつけたのは、ミッチェル・マークでした。

 
1914年4月、ニューヨーク/ブロードウェイにオープンした「ストランド劇場」は、円形の2階建て、約3,000席。金ぴかのデコレーション、きらめくシャンデリアの下、ガイドに導かれふかふか絨毯を踏んで座席に座ると、ステージ手前に30人程のオーケストラボックスと巨大なワーリッツァー・オルガン。見上げると両袖には賓客の座るバルコニー席があります。入場料は25セントとニッケル・オデオンの5倍もしますが、そこは非日常の世界、まさに<夢の宮殿>の内部です。

ロキシー.JPG IMGP8877.JPG
●映画館王「ロキシー」とワーリッツァー・オルガン

 ついでながら映画館の歴史上のヒーローは、“ロキシー”ことサミュエル・L・ロサフェルです。彼は1913年までに「アルハンブラ劇場」、「リージェント劇場」といった著名な劇場を建て直し、1914年から1920年にかけて上記「ストランド劇場」も含めて「リアルト」、「リヴォリ」、「キャピタル」といった大劇場を吸収し、ついには自分の名を冠した「ロキシー劇場」を造り、劇場王の名をほしいままにします。「ロキシー劇場」は大理石を使ったロココ調のデザイン、客席は6,200、オーケストラは110人編成というけた外れのものでした。

 このように大規模なピクチャー・パレスの建設は、イタリアの歴史劇の成功やグリフィスの大作によって加速されるのですが、このようにして映画は芸術性と娯楽性を適度に融合させて、
1920年代には全米で第4位の産業にのし上がるのです。
 1895年に誕生した「映画」。そのわずか20年後のこの姿を、誰が予想できたでしょうか。


●商業映画はやっぱり、内容よりも興行収入

 それはともかくD・W・グリフィスの偉大なる実験作「イントレランス」は、このような大劇場で公開されました。「古代・バビロ二ア編」ではオーケストラによるサンサーンス作曲のオペラ「サムソンとデリラ」の演奏が観客の心を揺さぶりました
前回の動画参照)。
 ところが興行的には前作の「国民の創生」を越えるどころか、大変な赤字を出してしまったのです。

IMGP8667.JPG IMGP8857-2.JPG
●D・W・グリフィス           ●「イントレランス」バビロンの一場面

 その理由として、元々8時間の内容を半分以下に切り詰めたために、すばやい場面転換に慣れていない観客が戸惑ってしまったこと。4つの物語が時代を越えて交錯するという構成が斬新過ぎて、観客が理解しにくい作品だったこと。キリスト受難のエピソード以外はアメリカ人になじみの薄い国の話であったこと。主な輸出先のヨーロッパは大戦中で映画どころではなかったこと。更に、戦争を<不寛容>のひとつとしたことが、第一次大戦に参戦直前の国民意識を逆なでしたこと。などが挙げられています。

 「イントレランス」の興行的敗北は、いかに芸術的色彩が濃くても、商業映画は作品内容よりも興行収入によって評価されるものであることを明白にしました。資本主義の国アメリカは、映画製作に対しても銀行や民間企業から投資の形で資金供給を受ける訳ですから、それ以上の利益を確保できなかったトライアングル社は致命的な打撃を受け、グリフィス自身も巨額の負債を負うことになりました。

IMGP8885.JPG
●「イントレランス」、バビロンの城砦の巨大なオープンセット

 こうして幻の栄華を誇ったバビロニア宮殿の大オープンセットは取り壊す費用もままならず、草むしたままサンセット・ブールバードの土ぼこりにまみれて10年以上も放置されることになるのです。


●エディスン・トラスト(
MPPC)の瓦解
 いずれにしても1910年から1920年にかけて、インディペンデント(独立経営映画会社)の1時間を越える長編映画が主力になると、全米に客席1,000を越える本格的な映画館が急激に増加しました。豪華に飾られたピクチャー・パレスの時代が到来したのです。
 反対に、エディスン・トラストと呼ばれる映画特許会社(MPPC)系列で製作される短編映画の上映館ニッケル・オデオンは目に見えて廃れていきました。

エジソン.jpeg●映画特許会社の総帥 トーマス・A・エディスン

 弱り目に祟り目のエディスン・トラストの衰退に追い討ちをかけたのが、第一次世界大戦を挟んで続いたシャーマン・トラスト禁止法に基づく反トラスト訴訟の結果でした。映画特許会社(MPPC)は1911年に反トラスト法違反の告発を受けていたのですが、1917年にエディスン・トラストは違法であるという判決が降りたのです。けれどもそのころまでにはすでにほとんどの加盟会社が手を引いて意味を成さなくなっていたのです。

 短編に限定して長編を作らせなかったエディスン・トラストは、そのカセを嫌った加盟会社が別会社で長編を作ることを促進させ、それがエディスン・トラストを追い詰めるという自己矛盾をはらんでいたのでした。

 こうして映画特許会社(
MPPC)は瓦解。最初は特許違反を訴える側で10年。後半は訴えられた側で7年。ここに17年にも及ぶエディスン社の特許戦争はようやく収束したのでした。最後まで残っていたのはバイタグラフ社1社でしたが、それも1912年に設立された「ワーナー・ブラザース」に吸収されてしまいます。 

つづく



Oisix(おいしっくす)デル株式会社
















nice!(36)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

2024年04月|2024年05月 |- ブログトップ