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076 タイムマシン発進! 「イントレランス」① [大作時代到来]

076 タイムマシンの始祖、グリフィス。
      D・W・グリフィス「イントレランス」―①

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●グリフィスのタイムマシンが、観客を紀元前539年のバビロンにいざなう。

 1915年、第一次世界大戦のさなか。中立を保っていたアメリカでD・W・グリフィスが発表した長編大作「国民の創生」は大当たりをとりました。グリフィスはその莫大な利益と個人資産のほとんどを次の作品につぎ込み、翌1916年、前作を上回るスケールで「イントレランス」を完成させました。

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●「イントレランス」はタイムマシンの壮大な実験作
 D・W・グリフィスは前作「国民の創生」を製作する過程で、映画の特性とはまさしく時間と空間の飛躍にあることをはっきり意識したと思われます。「イントレランス」は「国民の創生」を超えようとして、考えられる限りの映画技法を駆使して作られた<時空超越・瞬間移動>の実験作だったように思われます。

グリフィ ス.jpgD・W・グリフィス

 映画ではひとつのカットはリアルタイムで進行しますが、次のカットとの間には時間が省略されます。この飛躍が実は1ヶ月間の世界一周旅行を1時間で見せる事を可能にします。また東京からパリでもロンドンでも世界中のあらゆる場所へ、カットをつなぐだけでどこへでも即座に移動できるばかりでなく、現代から未来へも過去へも瞬時に移動することができるのです。
 タイムトンネルやタイムマシンは決してSFの世界ではなく、100年以上も前に開発された映画こそが、実は時間と空間を自在に往来できるタイムマシンなのではないか。グリフィスの「イントレランス」は、それを実証しようとした実験映画のように見える作品なのです。

 彼は「イントレランス」で、古代から現代まで、時代の異なる4つの物語を合体させた映画…つまり4本分の映画を1本の映画にしてしまったのです。


●4つの物語を1本に。その作劇法とは

 「イントレランス」とは<不寛容、狭量>と訳されますが、分かりやすく言えば<人間の心の狭さ>ということ。この映画でグリフィスは、宗教、政治、法律などに見受けられる不条理は、他を許容できない偏見によるものとして、そのために翻弄される人々の姿を時代を超越して描こうとしています。

 「イントレランス」は、無実の罪で死刑を宣告される貧しい青年を描いた「現代・アメリカ編」。
 欧米人にはなじみ深い宗教上の争い、聖バーソロミューの虐殺を描いた「中世・ヨーロッパ編」。
 最後の審判の結果、十字架に掛けられるキリストの受難を描いた「紀元発祥・ユダヤ編」。
 ペルシャ王サイラス軍の攻略によるバビロンの崩壊を描いた「紀元前・バビロニア編」。この4つの時代で構成されています。

 つまりこの映画は、紀元前539から映画が作られた1910年代までのおよそ2,450年間という膨大な時空間が封じ込めらたタイムカプセルであり、観客は映画館というタイムトンネルの中で、現在から過去へ、過去から現在へとグリフィスの意志に翻弄されながら時空間を彷徨することになるのです。
  

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●現代・アメリカ編

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●中世・ヨーロッパ編

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●紀元発祥・ユダヤ編

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●紀元前・バビロニア編

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●4つの時代の4つの物語を結ぶ、ゆりかごを揺らす母親の姿

 ここで注目したいのは、グリフィス自身が書いたシナリオのドラマツルギーです。4つの物語は「不寛容」というキーワードを共通項としながら、いわゆるオムニバス方式で一話ずつ順に展開するのではなく、4つの時代と場所…つまり4つの時間と空間が交互に入り混じって進行する形式です。

 とはいうものの、4つの時空間は全く脈絡なくつながれている訳ではなく、例えば「紀元発祥編」のキリストに対する審判のシーンの次に、無実の青年に死刑の判決が下される「現代編」の審判のシーンが続くという具合に、関連する事柄でシリトリのように場面を転換する「擬似転換」がすでに発想されていることに注目したいものです。

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 実際に「イントレランス」を細かく見ていくと、まず4つの時代の4本の作品が編集された後に、4本を1本に統合するために、全体の流れのタイミングを見計らって異なる時代へと交互に切りつなぐ編集がなされていることが分かります。
 また4つの時代が切り替わるときには、4話をつなぐブリッジとして、詩人ウォルト・ホイットマンの「ゆりかごは永遠に過去と未来を結ぶ」というフレーズに基づく、ゆりかごを揺らす母の姿が挿入されます。

 こうして4本の大河は、さながら4楽章の交響楽のように河口めざして次第に速度を増してクライマックスを迎え、どの時代にも共通する普遍的な平和への願いとして収束するのです。
 
時は第一次世界大戦のさなか。グリフィスは愚かな人間が繰り返してきた不寛容を描くことによって、大戦に向かおうとするアメリカに、平和への覚醒を促そうとしたのではないでしょうか。 


●紀元前・バビロニア編より ベルシャザール王宮のシーン
 平和な城砦が異民族の侵攻によってたちまち戦乱の巷と化す



●世界の映画界で、前代未聞のスケール
 アメリカ映画史始まって以来の長編スペクタクル「イントレランス」でグリフィスが特に力を注いだのは、メソポタミアの栄華を誇るベルシャザール王宮のシーンでした。
 グリフィスのねらいは<歴史の再現>でした。それはとりもなおさず、時間と空間を超越できる映画の特性をもっとも顕著に示すことになるからです。グリフィスは古くは紀元前539年のバビロンの城塞都市の真っ只中に観客をいざなおうとしたのです。

  
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 当時はまだ未舗装の地方道サンセット・ブールバード(大通り)の脇に、高さ70メートルもの城壁のオープンセットが張り巡らされました。城壁の奥は人が豆粒程に見える空中庭園、そしてイタリア映画「カビリア」をしのぐ数頭の巨大な象の立像。城壁の幅は戦車が2両並んで通れる上に、兵士たちも往来できる余裕がありました。
 また城内の奥行きはなんと1,200メートルもあり、そこにはいろいろな民族や身分に扮した4,000人を超すエキストラがひしめいていました。

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●遠くからも望めたといわれる高さ70メートルの大城砦

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●監督するグリフィス(左)とカメラマン、ビリー・ビッツァー

 グリフィスはこの空前の作品を作るために監督と芸術顧問を4人従え、自らは総監督として当たりました。
 この壮大な景観を高所から俯瞰撮影するために、城壁に届きそうな高いやぐらが組まれました。グリフィスはまた、低所から高所への垂直移動撮影を行うために高さ
100フィートものエレベーター式カメラタワーを作るなど、空前絶後の手法が考えられました。もちろん世界初です。サンプル動画に見られる、スムースな上下移動撮影はこうして実現したのでした。

 撮影は名コンビのカメラマン、ビリー・ビッツァー。当時ムービーカメラは手回しから電動式に変わりつつありましたが、これだけのスケールの撮影に彼が使ったのは、120メートル(400フィート)フィルムを装填したパテ・フレール社製手回しカメラでした。 なお、このカメラは、同社が1910年にリュミエール社の特許を買い取って開発されたものです。


●はじめて映画が自然の演技を身に付けた

 「イントレランス」では俳優の演技が、無声映画特有の大げさに誇張された動きから自然の動きへと移行していることも見逃せません。
 前作の「国民の創生」にもそのきざしは見られましたが、この2作における演出法は、映画の演技がようやく演劇の演技法を離れ、自然で自由な<映画の演技法>へと移行したとみていいでしょう。


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D・W・グリフィス監督
 
 それにしてもこれだけの広大な場所で、グリフィスはどのように撮影の指示を出していたのでしょうか。写真では超大型メガフォンを構えたD・W・グリフィス監督が写っていますが、それだけでは到底遠方に届くはずはなく、ところどころに伝令を配置しなければ指示を徹底させることはできなかったと思われます。誕生して間もない電信も使われたでしょう。エキストラの移動や整理のために鉄道を敷いたとか、気球に乗って上空から指揮を行ったという記述も残っています。 つづく

※映画やテレビ、コンサートなどの会場で撮影や照明のために組む高いやぐらを業界用語で「イントレ」と呼んでいますが、その語源がこの「イントレランス」です。



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さる1号

映画の為に鉄道を敷いたり気球に乗ったり @@;)
なんとスケールの大きな
莫大な予算を使っての撮影だったのですねぇ
by さる1号 (2015-07-19 07:56) 

sig

さる1号さん、こんばんは。
前作の「国民の創生」で得た莫大な利益をすべてつぎ込んで作られたと言われており、総製作費は前代未聞の38万5000ドル。今でいうといくらでしょうか。本当にお城を一つ建てたという感じですよね。
結果については次回に述べますが、映画が単なる娯楽ではないことを立証したことは確かでしょうね。 
by sig (2015-07-19 21:06) 

さかき

イントレ(俯瞰台)を組んで撮影するとき、いつも、その語源といわれる「イントレランス」を見たいと思いながら、未だに見ていませんでした。もうひとつ、画面の手前から奥行きまでピントを会わせる「パンフォーカス」技法も「イントレランス」から生まれたと思い込んでいましたが、いま調べたらこれはもっと後の事のようですね。しかしイントレに乗って高所から広角レンズで俯瞰撮影すれば、当然パンフォーカスになりますよね。映画技術史ではどうなのでしょうか・・・。
by さかき (2015-07-20 13:32) 

sig

さかきさん、こんばんは。
さきほどさかきさんのブログを覗かせていただき、すばらしい作品群と活動実績に触れたところです。このブログは僭越ながら、映画の成り立ちに関心のある方や映像を学んでいる若い世代の人たちに向けて書いております。もちろんそれ以前に、映像に関する自分自身のまとめでもあります。

パンフォーカスがイントレランス以後というのは初めて伺いました。おっしゃる通り、このブログのトップの写真は見事なパンフォーカスですよね。その専門でないので答えにはならないと思いますが、個人的にはパンフォーカスはリュミエール兄弟の「列車の到着」、あるいはそれ以前からあると思っていました。つまり、当時の単玉レンズでは、必然的にパンフォーカスの画像しか結像しなかったのではないでしょうか。
by sig (2015-07-20 19:48) 

まこ

こんにちは
「ベルシャザール王宮のシーン」というのは
なんとも贅沢なセットですね。ビックリです!!
この時代にこんな映画が撮られていたとは・・
by まこ (2015-07-21 12:52) 

sig

まこさん、こんにちは。
日本初公開は1924(T13)年とのことですが、当時の人たちはびっくりしたでしょうね。
と同時に、国も時代も違うところに自分が存在することについて、大きな驚きを感じた人もいるのではないでしょうか。
実は映画の不思議と魅力は、そこにあるんですよね。
by sig (2015-07-21 17:51) 

hatumi30331

豪華で贅沢なセットやね!
映画にかけ並々ならぬ情熱を感じるよ。^^
by hatumi30331 (2015-07-21 19:46) 

sig

hatsumi30331さん、こんばんは。
本当にそう思いますね。
これだけの規模の映画、絶対当たる、当ててやる、当たるはずだ、という自信と思惑が無ければ作れませんよね。
ただ、その思惑は外れてしまうのです。観客の、映画を理解できるレベルが、まだ育っていなかったようなんです。そのあたりは次回に。コメント、ありがとうございます。
by sig (2015-07-21 23:49) 

Jennifer Milan


不寛容は非常に素晴らしい映画であり、現在の世代と新しい世代に素晴らしい教訓をもたらします。他の人々をワイルドにして善良な人間にすることができるので、私は人類を尊重したいと常に思っています。この素晴らしい記事をありがとう。
by Jennifer Milan (2020-06-02 02:12) 

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