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002 19世紀末とはどんな時代? [19世紀末という時代]

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002 19世紀末とはどんな時代?

 今年2015年は、映画誕生120周年に当たります。今から120年前とは、20世紀を目前に控えた1895年。この年の1228日が映画発明の日とされています。
 19世紀が幕を閉じ、新しい世紀が今まさに始まろうとしているその瞬間に、それまでになかった全く新しいメディアが登場したということは、今日に至る映像の輝かしい未来を暗示するような出来事でした。


 先の20世紀の発展基盤は19世紀に確立されたといわれる通り、イギリスの産業革命に端を発する重工業や蒸気機関を基盤とする高度な工業技術は、建設、建築をはじめ交通機関に至るまで世界の主要都市の近代化を加速し、大英帝国・ビクトリア王朝に代表される絢爛たる消費文化を花開かせました。間もなくそれは大衆文化にも波及し、市民生活に実に多くの利便性と楽しみを与えてくれるようになりました。

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●エッフェル塔の建設(左)と、1888.11.14時点の様子(右)

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パリ
・新オペラ座設計プラン 1861



 当時のファッションを見ると、紳士はあくまでもジェントルマン。淑女はあくまでもレディという理想的な風情で好もしい限りですが、ここでの興味は、映画誕生までの時点で、市民生活はどこまで進んでいたかということになります。

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●自転車の登場が女性のファッションスタイルスタイルを変えた。



 まず交通機関では、海上の多くは帆船でしたが、1858年に進水した19世紀最大の蒸気船と呼ばれる4000人乗りのグレート・イースタン号が大西洋上に浮かび、ヨーロッパとアメリカとの交流を高めつつありました。
 陸上ではイギリス、アメリカを筆頭に蒸気機関車がけん引する高速列車の競争が続き、時速150kmの壁に挑んでいました。

 1869年完成のアメリカに端を発する大陸横断鉄道の建設は、1895年までにはシベリア、カナダ、オーストラリアへと波及し、大陸での長距離移動が可能となりました。また、イギリスでは1890年に地下鉄が電化され、1895年には日本初の市内電車が京都で開業しました。
 自動車はドイツのダイムラー、ベンツが健闘していますが、その実用化にはあと一息で、通常の移動はレール上を馬が引く乗合馬車(オムニバス)、そして自転車でした。

1869 カティ・サーク 英.JPG●カティ・サーク号              300px-Great_Eastern_1866.jpg●外輪船グレート・イースタン号

P1050031.JPG●1885
        ●1882 P1050028.JPG
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  空路は大型飛行船でしたが、ヒンデンブルク号の大参事のあとは敬遠され、1900年に登場するツェッペリン号まで待たなければなりませんでした。その間、飛行機の実験が続けられていますが、その最先鋒だったドイツのリリエンタールは1896年、テスト飛行で墜落死。1903年、ガソリンエンジンを備えたライト兄弟の複葉機の成功ののち、初めて実用化に向かうことになります。

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                     ●リリエンタールの飛行実験 1894



  家庭周りでは1880年代以降、ベルの発明による電話が普及。エジソンの発明による電気照明が、世界の街々を明るく照らし出します。この電気の発明が、あらゆる分野に革新的な変化をもたらしたことは言うまでもありません。



  更に、それまでの銅版画による描写に代わって写真(静止画情報)が実用化されたり、電話線を利用した劇場中継(音声情報)などが聞けるようになると(ラジオ放送は1920年から)、それまでの新聞、雑誌という文字情報以上にリアルな情報に接することで、それまで想像するだけだった未知の世界の様子を鮮明に知ることができ、絶対に行けないと思っていた海外旅行もあながち無理なことではなさそうだ、と思えるようになりました。
 けれどもそのたびに当時の人々は、「交通面でも経費的にも、とうていできぬ相談」という現実に引き戻されていたのでした。

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  が、しかし、そのような欲求が高まれば、それを満たしてあげようと考える人が出てきます。19世紀末に人々を魅了したのは「パノラマ」でした。
 パノラマは一種の巨大な円形シアターで、そこに出向けば、話には聞いていた昔の名だたる戦争の名シーンや、世界の果てと思えるまだ見ぬ国々の珍しい情景を、あたかもその場に立っているような臨場感でたっぷりと楽しむことができるのでした。私たちはそこに、映画誕生以前のタイムマシンを見出すことができます。

P1050053-2.JPG●サイクロラマ
の制作 1886


このように19世紀末という時代は、私たちがこれまで体験してきた20世紀の消費文化の特質の一つである「時間を消費する」という下地を、あちこちに垣間見ることができます。それは旅行であり、スポーツを楽しむことであり、ショーを堪能することでもある訳ですが、こうした娯楽を居ながらにして楽しみたいという欲求…つまり疑似的な体験を実現してくれたのが映画でした。

 こう見てくると、映画というメディアは生まれるべくして生まれて来たものと見ることができます。人々は19世紀末、当時のニューメディアである映画の誕生を拍手喝采で迎え、やがて産業にまで成長する映画を観客という立場で支え、映画の進展を大きく後押ししていくことになるのです。

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003 ニューメディアはいつも、いかがわしいところから広がる [19世紀末という時代]

003 ニューメディアはいつも、いかがわしいところから広がる 

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●映画が誕生した19世紀末のベーカー・ストリート

  私たちの21世紀はインターネットで開けた気がします。今の世の中、デジタル技術が無ければ夜も日も明けない状態ですが、その中で日常的に接する機会が多くなっているのがAVと呼ばれる分野です。AVとはすなわち「オーディオ/ビジュアル」、つまり「音声/画像」の略で、両方を備えたものが「映像」と呼ばれます。くれぐれも他のAVと早合点なさらないように(V/A、つまりVideo/Audioとも表記しますが)。

 
1950年代後半。8ミリ映画が市場に出回るとすぐに「ブルーフィルム」なるものが登場しました。当初はモノクローム、つまり白黒フィルムでしたから、それでは味気ないということでブルーに染めたものかと思っていました。けれども、そうではなかった。

 
こうした話は、その昔、木版の印刷技術が登場すればすぐに、浮世絵であぶな絵のたぐいが作られましたし、写真技術が生まれればすぐさま当然のようにヌード写真が出回り、よりリアルに、ということでたちまち3Dのヌード写真まで登場しました。電話におけるテレフォン○○○○はつい昨日のことで、インターネットの昨今ではその範囲が一挙に世界に広がりました。

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●ビクトリア朝時代を彩る貴婦人 その表と裏(右の2枚はオルセー美術館蔵 部分)
 芸術か猥褻かの議論は、未来永劫続くことでしょう。

 
このように新しいインフォメーションやコミュニケーションメディアが登場するたびに真っ先に取り付いて大もうけをたくらみ、社会問題を起こすのはみんな、いわゆる「風俗」と呼ばれる社会の裏側で暗躍するいかがわしい連中です。

 彼らは「需要があるから供給するのだ」とうそぶいているようです。風俗も文化の一面と見なせば、それなりに社会的役割を担っているところもあり、
ある意味では二ューメディアを急速に拡大させる牽引力の役目を果たしているところもあってなかなか難しいのですが、あくまでもそれは反社会的行為。認めるわけにはいきません。
  問題は、そういった人種によって、本来は明るく楽しいコミュニケーションのためのメディアの本質が大きく歪められ、規制がどんどん厳しくなることによって、そうした技術をまじめに活用しようとする圧倒的多数の人たちが十分な恩恵にあずかれなくなるという傾向が見られることです。これでは本末転倒。全く遺憾に思います。
 

  とにかく、すべての物事には歴史があります。現在に至る経緯があります。例えば、今、私たちが手にしているビデオカメラは、一体どのような経緯から生まれてきたのか。また、私たちが毎日当たり前のように楽しんでいるテレビドラマや映画、あるいはアニメーション。これらが最先端のデジタル技術を採り入れて、すばらしいイリュージョンを提供してくれるようになるまでに、一体どれほどの年月が費やされたことか。さらには、これらの技術に関わるハードやソフトに、どれだけ多くの人たちの英知とアイディアが費やされたことか……。こうした事柄に思いを馳せてみることは、情報から趣味に至るまで広く利用されるようになった「映像」についての理解を深める上で、とても大切なことだと思うのです。

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●この場合、「動画」を観に行くとは言わない。

 
ところで、この「映画」と「動画」という言葉。ご存知の通り「動画」はコンピュータ用語で、「静止画」に対する言葉として使われるようになりました。どちらも動く画であることは同じなのですが、映画の場合は「スクリーンに拡大投影」することによって成り立ちます。それに対して「動画」は必ずしも投影を目的としません。文字通り「動く絵、動く写真」であれば、スクリーンで見ようがパソコンのモニター上で見ようが構わない訳です。
 個人的には映画を動画と呼ぶことに若干の抵抗を感じるのですが、今ではビデオカメラで撮った作品も「映画」と呼んでスクリーンに上映する時代ですから、「映画」は「動画」の中に含まれるものなのでしょう。(ややこしいですね)

  さて。映画が誕生した19世紀末では、それ
を開発したご本人ですら、まだ海のものとも山のものとも予測できなかったと伝えられています。「我こそは映画の発明者なり」と豪語していたトーマス・エジソンでさえ当初は、「動く写真」は単なる見世物としてしか考えていなかった節があります。(現在、映画の発明はフランスのリュミエール兄弟とされている)
 
例えば初期の映画は他人のキスを覗き見したり、婦人の着替えや入浴シーンなどが人気を呼んでいました。もちろんそれだけではありませんが、映画は人間の本能・本性をあからさまに反映させた、そんな下卑たところから始まったもので、決して最初から芸術的とか文学的とか言われるような高尚な代物ではなかったのでした。

  しかしその本性はやがて目覚めます。動くものをそのまま保存し再現したいという極めて原初的な欲求です。この欲求に、人間本来の知性と感性と、時代を重ねて生み出された新しい技術が磨きを掛けました。
 映画が生まれてから100年以上も掛けて築いてきた最先端の映像…。それが今日のデジタル映像と言えるのではないでしょうか。

 


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