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004 クロマニョン人のホームシアター [太古、人は影に気づいた]

004 太古、人は「影」に気づいた
   クロマニョン人のホームシアター

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●上/スペイン、アルタミラ洞窟の天井画 
 下/フランス、ラスコー洞窟の内部。 5m以上の動物や人の絵も描かれています。
 上下とも 平凡社「国民百科事典」より

 
 映画の成り立ちを考える前に、まず、「映像」というものの概念をつかんでおく必要を感じました。映像は映画が誕生する前から存在していた…つまり映画の上位概念だと認識しているのですが、すると、人間がこの世で最初に見た映像はなんだろう、と考えました。

 一つ
は、兎や鹿を追って野山を跳び回る時、いつもいっしょにくっついて跳び跳ねる自分の影ではないでしょうか。もう一つは狩りに疲れて水を飲もうとしたとき、水面に映った自分の顔ではないかと思います。「影」や「水面の顔」が映像かと言うことになりますが、映像とはそもそも、光によって生み出されるイリュージョン、つまり、幻影、幻想、錯覚のような虚像を指すのではないでしょうか。こういった現象に人間が初めて気がついたとき、どんなに驚いたことでしょう。

 けれどもそれらが自分に危害を加えるものではないことを悟ると、人は無意識の中にも自分と同じ顔を持ち同じ動きをする「分身」の存在を知るようになりました。そしてそれはいつの頃だろうかと思うのです。これは論拠のない私の乱暴な推論ですが、おそらく原始時代にすでにその兆しはあったのではないかと思います。

 
もちろん、地球上に出現したばかりの人類の祖先が、即そのような認識を抱いたとは考えられません。なぜなら、食べ物を巡っての争奪や苛酷な自然環境の中で生きていくだけで精一杯の時代には、肉体的な痛みとか、威嚇や怒りなど、言葉どおり原始的な「感情」は持っていても、花を見て美しいと思うような「情感」は育っていたかどうか、ということです。少なくとも喜怒哀楽を表現できる「情感」が育った後でなければ、影の不思議に気づくということはないでしょう。

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 人間は、猿人、原人、旧人、新人というように進化したといわれていますが、「情感」を備えた人類というのは、ピテカントロプスやシナントロプスなどの猿人や原人ではなく、現代人に似た頭蓋容量を持っていたとされる新人あたりからではないかと、確たる理由もなく勝手に推察するわけです。その新人の代表格がクロマニョン人です。

 
彼らが生活していたのは旧石器時代後期にあたる第四期洪積世の末期。それでも1万年以上も前という気が遠くなるほど大昔の話なのですが、彼らについてはご承知の通りフランスのラスコー、スペインのアルタミラの洞窟壁画が有名です。また最近では、南フランスで3万年前とされるショーベ洞窟が発見されました。

 彼らはすでに狩猟や雑穀採集などの道具を作り、火を使い、洞窟で快適に暮らしていたのでした。
夜、洞窟の中で焚き火をすれば、拡大された仲間の影が岩肌にうごめき、それが面白くて身振り手振りではしゃぐこともあったのではないでしょうか。動物よりも優れた、人間だけに備わった高度な「情感」が創造力を育み、あれほどすばらしい壁画を生み出したと見ることができるでしょう。

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●洞窟の壁面に描かれた8本足のイノシシ

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●上の8本足のイノシシを、立っている絵と駆けてている絵の2枚に分解した図

 さて、そこで本題ですが、興味深いことに、その壁画の中に8本足のイノシシが描かれているというのです。これは何を物語るのでしょうか。ある映画史の専門家は、これこそ「動画」の原点、アニメーションの原型と言っております。
 この絵を書き出したものが上の絵
です。よく見ますと8本足のうちの4本は立ち止まっています。そして他の4本は駆けている様子です。

 ちなみにこれを2枚に書き分けてみましょう。もうお分かりでしょう。これはもっとも基本的なアニメーションそのものではないでしょうか。つまり、この2枚を重ねて、上の絵を開いたり閉じたりして交互に見つめると、なんとイノシシはちゃんと駆け出したではありませんか。


 もちろんこの絵の作者が動画の積りでこの絵を書いたかどうかは謎のままです。けれども、他の動物の壁画があれだけ生き生きと描かれている中で、なんとか本物と同じようにこのイノシシを走らせてみたい、という願望がこの8本足を描かせたということを否定はできないでしょう。そしてこのイノシシは8本足のままでも、焚き火の揺らめきによって走っているように見えたかもしれません。

 
またうがった見方をすれば、作者あるいは演者は、焚き火を囲んで集まった仲間たちの前で、たいまつの炎を揺るがせて岩に動く影を作り、あたかもイノシシが走っているように見せたり、適当な木の枝を使って、立っている足、駆けている足を交互に隠すことによって実際に歩かせて見せたりしたのかもしれません。これは立派なホームシアターではありませんか。そう考えると、人は物心ついて以来、絵を動かしてみたいと願っていたのでは、と思えてなりません。

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●足が9本のコマワリさん、みっけ! 「機能ガラス普及推進協議会」の広告より

 
余談ですが、このイノシシの絵のように、A.B2枚の絵があれば「動画」を作れるという例はたくさんあります。
 例えば「拍手」。これは両方の手の平を開いた絵と閉じた絵の2枚でOK。「おじぎ」はきちんと立っている絵とぺこりと頭を下げた絵の2枚。「おーい」は立っている絵と両方の手の平で輪を作って口元にあてがっている絵の2枚で表現できます。このように、これ以上省略しようのないアニメをリミッテッド・アニメーションと呼んでいますが、最小の枚数で動きを表現するリミッテッド・アニメは、人が駆けるとか、ボートをこぐとか、車の走りとか、同じ動作が繰り返される場合などにも効果的に生かされています。

 
さて、太古、人は先ず「影」というものに気づきました。「影」が「映画」に結びつくまでには途方もない時間がかかりましたが、それが「映像」に対する認識の第一歩だったと思うのです。
そして映画は、フィルムの像がスクリーンに「投影」されたもの。文字どおりフィルムの「影」なのです。
 今日では最先端デジタル技術によってフィルムを使わない映画の時代に変わりましたが、どんなにすごい映像/音響システムによる映画でも、スクリーンに上映された影を見て楽しんだり悲しんだりしていることに変わりはないのです。

 そしてもう一つのキーワードは「分身」です。
 映像の進化の歴史は、極論すると「虚像をいかに実像に近づけるか」という試みの連続だったと思われます。 
 その究極が「分身」。「分身」こそは影を動かす映像技術のはるか彼方、22世紀の未来に位置するものなので、たかだか19世紀末から20世紀初めにかけてのこの映画前史ブログの到底及ぶところではないのですが、その方向性は、この映画前史をまとめる過程で私に初めて見えてきた部分なのです。


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005 青空にそびえ立つ大入道 [太古、人は影に気づいた]

005 青空にそびえ立つ大入道
   残像現象とレンズ効果の気づき

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  前回は、ヒトが「映像」に関する基本的なファクター(要素)にいつ頃から気がついたのかを考え、「太古、人は「影」に気づいた」という内容でした。今回はその続きです。

 
 今日あたりもしかして、北海道、東北、北陸地方は雪空かもしれません。それとは全く正反対に、関東地方はどこまでも澄み渡った雲ひとつない青空。これがいわゆる西高東低の冬型気圧配置。今頃のお天気の特徴と言われております。

 
そんな青空が広がっているある日…それは冬でも夏でもいいのですが、子供の頃、広場に立って、瞬きをしないでしばらくジッと白い土の上の自分の影を見つめてからパッと空を見上げると、青空に白っぽい大入道の姿が…。こんな遊びをした経験がおありかと思います。
  ご承知のようにそれは、眼球の奥の網膜に映った自分の影が、真っ青な背景に投影される「残像」と呼ばれる現象です。

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そしてもうひとつのファクターは、例えば雨上がりの木の葉や草の葉先にこぼれ落ちそうになっている水滴…。その美しさに誘われて思わず覗き込んだとき、そこに映りこんでいる景色。そしてその景色が実際とは逆になって見えることの不思議…。これは一種のレンズであるわけですが、ヒトがこれらの自然現象に気づいたのは、いつの頃からなのでしょうか。

 「影」と「残像」と「レンズ」・・・この映画の基本となる3つの現象は、おそらく自然と接する日常生活の中で太古から知られていたはずです。
「影」は「画像」に置き換えることができると思います。「画像を動かして拡大して見せる」、つまりこれこそが映画なのですが、では、この3つをうまく組み合わせれば映画ができるかといえば、そう簡単なものではありません。

 
まず「画像」はどのようにして取り込むのか。取り込んだ画像は何にどのように定着させるのか。つまり記録の方法(「メディア」)です。さらにはそれを動かすための「仕掛け(「機構」)」はどうするのか。それは残像現象を応用すれば何とかなりそうですが、動かすためには「動力」が必要になるでしょう。次に、壁面に大きく写すためには「光源」が必要ですが、その仕組みの中で「レンズ」が役立ちそうです。
 
ただし、それは今だから言えることであって、大昔はそれぞれの現象は別々に意識されていただけで、決して結びつくことはありませんでした。

古文書image.jpg●古文書イメージ

 
 文献によれば…、そう、すべて物事は記録として残されて始めて歴史を刻み始めるのですが、…「影」の発見、これについては記述はありません。当たり前(笑)。
「残像」の発見については、紀元130年ころのローマ時代にルクレティウスやプトレマイオスによる残像の実験の記述があるようです。

  本格的なところではアラビアの数学者アル・ハーゼンによる残像現象の実験です。彼は何色もの色を塗り分けたコマを回して、回転スピードが変化すると色彩がどう変わるかとか、残像現象は何秒くらい続くかというようなことを実験したとされています。紀元1000年前後の話です。

 
こうした自然現象に対する人間の知覚というものが意識され始めると、いろいろな発明や発見に結びついてくることになります。たいていはおもちゃのようなものから発展していくのですが、残像現象もその不思議さが子供たちにアピールして、いろいろな彩りのコマのおもちゃが作られたようです。

 
 
また、最初にお話した青空の大入道は、実はネガ像と言うことができます。フィルムカメラで撮影されたネガフィルムを思い出していただくと分かりやすいと思いますが、カラーフィルムのネガとポジの色合いは「補色関係」にあります。

 それを応用したものに、
顔が赤くて髪が緑色の魔女の絵がありました。この魔女の絵の中央に両目を凝らし、瞬きをしないようにがまんしてじっと見つめた後、白い壁に素早く目を移すと、その瞬間、顔は緑、髪は真っ赤な魔女に変身します。赤と緑は補色関係にあるからですね。
 このように、ポジ(陽画)とネガ(陰画)の関係も、実は大昔に発見されていたようです。

 
 それではここで一枚の写真をご覧いただきましょう。
このネガは女性の顔のようですが、さて、誰でしょうか。
 
先ほどの魔女の例と同じ要領で、眼と眼の間あたりに両目を凝らして20秒ほどじっと見つめた後、その下の白いスペースに素早く目を移してください。残像はすぐに消えるように見えても、見つめ続けているとかなり長い時間残っているものです。それは、室内から窓枠などを通して屋外を見つめた後に目を閉じただけでも同じことです。

P1050114-2.JPG★私は誰でしょう?(答は次回に)
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 一方、レンズについて調べてみますと、語源はその形からラテン語の「豆」という意味だそうですが、もちろんその前にガラスを作る技術が無ければならず、それは紀元前16世紀後半にメソポタミアあたりで発祥し、エジプト、ギリシャ、フェニキアの時代を経てローマ帝国へと伝わりました。紀元前2000~1500年頃のことで、最初は主に装飾品として用いられていたということです。 

 
 中世に入ると教会のステンドグラスなどに使われるようになり、ガラス加工技術は進むのですが、光を収束させたり物を拡大したりする、いわゆる今で言うレンズとしての実用化は、12世紀後半の拡大鏡や眼鏡の発明以降とされています。従って残像現象の発見からレンズの実用に至るまでだけでも、ほぼ1000年の開きがあるということになります。

Hugh de Provence の肖像画の部分。Tomaso da Modena 作(1352年).jpg枢機卿 Hugh de Provenceの肖像(部分)1352 Wikipedia

 
  さて、このあたりまでは大昔の話で、映画の歴史を語り始める前提となる「動画」にすらまだ届いていません。次回あたりからようやく映画史以前の「映画前史」に入っていくことになります。
今回は空白でページを稼いでしまいました(笑)。










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