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058 もうひとつのトリック、アニメーション。 [黎明期の映画]

058 アニメーション映画の誕生


    スチュアート・ブラックトンとエミール・コール

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●エミール・コールのアニメシリーズ「ファントーシュ」1908 
 


 1907年3月。パテ・フレール社の健闘で映画帝国を築いたフランスの業界に、一大センセーションが巻き起こりました。


ご存知の通りフランス映画は、ジョルジュ・メリエスのトリックから始まりました。1909年までその分野ではまだ世界中で彼の右に出る者はいませんでした。また、コメディにおいても、パテ・フレール社 、ゴーモン社に代表されるフランスの短編は他国の追随を許しませんでした。
 そこにもたらされた1本のフィルム。それはフランス映画がもっとも得意とするトリックを使ったコメディでしたが、彼らが大騒ぎするほど空前絶後の映画だったのです。その1本のフィルムとは……。



●品物がどうして一人で動くのか


 その作品は、西部劇や警官の追いかけなど、アクションを得意としていたアメリカのヴァイタグラフ社からもたらされたものでした。「これがヴァイタグラフ社の作品?」とフランス映画界が首をかしげるほど、それ自体が意外性を持つものでした。同時に、フランスのお家芸として育っているトリックとコメディの領域が侵されるのではないかという恐れを抱かせました。

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●ヴァイタグラフ社商標


「お化けホテル」(幽霊ホテル)と題されたその映画は143メートル。8分弱程度の長さで、あるホテルに泊まった宿泊客の悪夢の一夜を描きます。一言で言うとホテルが生きているのです。アメリカには昔から、家が人を襲うという物語があるのですが、この映画はホテルの一室にあるものが、あたかも意志を持つもののように動き回るのです。


テーブルの上にはひとりでに食器が配置され、ナイフとスプーンが用意されます。すると今度は瞬く間にディッシュにソーセージとパンが並びます。かと思うとワインや紅茶ポットまで。ナイフはひとりでにソーセージを切り、紅茶やミルクもひとりでにポットに注がれます。それは序の口。びっくりした宿泊客は食事も取らずに寝室に入ると、ベッドが振動し始め、仕舞には部屋全体がぐるぐる回りだしてしまうのです。生きた心地をなくしてベッドにしがみつく宿泊客を見せて、映画は終わります。


(この情景は記憶ですから適当ですが、こんなニュアンスの映画です。録画テープがあったのですが見当たらず、ご覧いただけなくて残念です。転居の際処分したベータマックステープに録画したものと思われます)

 家具が動き回り、ベッドが向きを変えるといった趣向は、演劇の舞台で針金やロープを使って行われていましたが、彼らがびっくりしたのはナイフやフォークといった小道具がどうしてひとでに動き回るのかということでした。シャルル・パテとライバルのレオン・ゴーモンはそれぞれ、自社の演出家やカメラマンにその秘密を探るようにと緊急指令を発しました。それはそうでしょう。観客がこれまでに見たことも無いまったく新しいジャンルの映画が生まれ、ヨーロッパだけで150もの映画館で上映されたのですから。

  ところで「お化けホテル」の動画、このブログをアップするギリギリの時点で、アメリカのサイトで見つかりました。 ところがテーブルのシーンだけ1分ちょっと。上記の私の記憶とは大きく異なりますが、このシーンのあとに人物やベッドも出てくるのかもしれません。それはともかく、ま、とりあえず、ご覧ください。




●「お化けホテル(幽霊ホテル)」1907


   どうしても物足りないので、なおも探して見つけました。下の動画が私が記憶していた作品のようです。製作年度が1908年。後付けのクレジットでは製作者としてパテの名がありますから「お化けホテル」とは違います。タイトルも「お化けハウス」です。完全に私の勘違いです。私が記憶していたものは「お化けホテル」を元にして、お話を発展させたものでしょう。
 それにしても二番目のカットの左上の雲の中を、ほうきに乗った魔女が昇って行くなど、二番手だけあって細かく演出されていて、とても良くできています。抱腹絶倒、とにかくおかしい。ご覧ください。決して損はさせません。







●かたちが変わると真理を見失うのは映画の場合も同じ


 彼らは、なぜ人の手によらないで器物がひとりでに動き回るのか、それを見極めるために手に入れた「お化けホテル」のフィルムを何回も何回も上映し、時には1コマずつ送ってルーぺで確かめながら、隠された針金を見つけ出そうとしました。けれどもそれは無駄でした。


 現在の私たちは、この映画が一種のアニメーションであることを知っています。そして、絵によるアニメーションは、1888年にフランスのエミール・レイノウが「テアトル・オプティーク(光の劇場)」と称する出し物で最初に演じられたことは以前のブログに書きました。
 パテ・フレール社やゴーモン社の製作者たちはもちろんレイノウの「テアトル・オプティーク」を知っているのですが、この「お化けホテル」が、レイノウの絵を動かす原理を実物に応用して作られたものだということには気づかなかったのです。


●アニメ創始者エミール・レイノウによる「テアトル・オプティーク」の公演


●写真の時代を背景に、絵から写真へと発想を転換


 「お化けホテル」が製作されたのはパリ公開の1年前、1906年でした。みんなの度肝を抜いたこの映画の作者は、ジェームス・スチュアート・ブラックトン。彼は素描を得意とし、風刺画家として新聞で活躍していたのですが、ヴァイタグラフ社キネトスコープのためのフィルムを撮るようになりました。
 彼はおそらくレイノウが絵でやったことを写真でやってみようと思ったのでしょう。それは、写真がようやく一般的なものとなったことによって、初めて発想できたことでした。

スチュアート・ブラックトン.png●ジェームス・スチュアート・ブラックトン


スチュアート・ブラックトン「たばこの妖精」1909 遠近法を大胆に使った実写トリック

 彼はこの作品の前に、1枚ずつ撮影した写真を連続させて動かす「デッサン・アニメ」というものを作りました。これはいわばテスト作品で、「お化けホテル」はその延長線上の作品でした。

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●「愉快な百面相」1906 黒板に「書いては消し」して作り上げた1コマ撮りアニメーション


更に彼はこの年に「魔法の万年筆」という作品も発表しました。これは、1本の万年筆が勝手に立ち上がって動き出し、タバコをくわえた男の上半身を書き上げます。するとタバコからたなびいた煙がどんどん延びて行き、男性の対面に女性の姿を書き上げるというものでした。

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●スチュアート・ブラックトン「魔法の万年筆」1907
 本物の万年筆が一人で動いて人物を描いていく




●気が遠くなるような立体アニメ作法


 フランスの映画関係者のあせりは更に加熱しましたが、その秘密を探り出したのはゴーモン社の新人演出家エミール・コールでした。映画は1秒16コマの連続した写真によって動きをもたらすものだから、反対に1秒間の動きを16枚の写真に分けて撮影したものを連続映写すれば、本来動かない器物も動かすことができる、と思い当たったのです。

 当時はそのような撮影を思いつく人も無く、当然1コマ撮影(メモ・モーション)の出来る撮影機はありませんでした。そこでヴァイタグラフ社は、クランク1回転につき1コマだけ撮影できるコマ撮り専用カメラ(メモ・モーションカメラ)を開発したという訳です。
 例えばコーヒーカップをテーブル上で移動させる場合、そのスピードによりけりですが、1コマ撮影してはカップを数ミリ動かして次の1コマを撮影、という作業を数100回も繰り返すという、気の遠くなるような立体アニメーションの作法はこうして生まれたのでした。

エミール・コール.JPG●エミール・コール

 考えてみれば1コマ撮り(メモ・モーション)による動画は、1864年にデュコス・デュ・オーロンが、植物の成長で実験。その過程をカメラを固定して1コマずつ撮影することで時間を短縮した動く記録を試みたものですが、それをニューヨークのホテルの建設現場で実践してみせたのが、今はバイオグラフ社の製作部長に収まっているウィリアム・ディクスンだったのでした。

ウィリアム・ディクスン.JPG●ウィリアム・ディクスン


●ウォルト・ディズニーをとりこにした1コマ撮りの世界


その後エミール・コールも、以前雑誌のカリカチュア画家だった経験を生かして、ブラックトンのような立体アニメーションや、マンガと実写を合成したアニメーションも手がけるようになります。
 コールによって生み出された情景。それは粘土が次第に彫像に変わったり、花のつぼみが見る見るうちに開いたり、靴が自分で自分を磨いて出かけて行くなど、とてもユニークなものでした。


これらの手法が土台となって、1909年製作ウィンザー・マッケイによる世界初のフィルムアニメーション「恐竜ガーティ」が生まれます。また、1920年代に入るとウォルト・ディズニーや「ポパイ」「ベティ・ブープ」を生み出すフライシャー兄弟の登場につながっていきます。1901年12月5日生まれのディズニーは、物心ついた頃からエミール・コールのアニメを楽しんでいたのでした。


 そういえば、筆が動くとどんどん地図が書きあがり、その一部にカメラがぐんぐん近づくと物語が始まるという手法は、初期のディズニーのドキュメンタリー映画では通例として使われたテクニックであり、花のつぼみが見る見るうちに開いたり、といった表現も私たちの目を丸くさせたものでした。(例、自然の驚異シリーズ「砂漠は生きている」)


●「恐竜ガーテイ」ウィンザー?マッケイ 1909


●「砂漠は生きている」ウォルト・ディズニー 1953


★次回はカラー映画の進展について。















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