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057 3本立てだよ、いらはい、いらはい! [黎明期の映画]

057 ヨーロピアン・コメディは花ざかり
    分かってきた画面サイズの使い分け

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●生き物のようなカボチャの動きががおかしい「かぼちゃ競走」エミール・コール 1907


さあて、今回の映画紹介は、堂々の3本立てだよ。


なんとなんと、フランスの追っかけ喜劇とデンマークの芸術作品。


そんじょそこらの映画館で見られるものとは訳が違う。


全部観ても10分そこそこ。決して損はさせないよ。



●「空間」と「時間」という二つの呪縛を開放した第二世代


映画は生まれて早々、それを手にする人に「空間」と「時間」という二つの呪文を掛けました。最初の映画カメラマンはカメラを三脚に固定したまま、同じ場面(空間)を1巻のフィルムがなくなるまでほぼ1分間(時間)、連続してカメラのクランクを回し続けるものと思い込んでいました。19世紀末に映画を発明したリュミエール兄弟やたくさんのトリックを開発したジョルジュ・メリエスでさえ、その呪文のとりこでした。こうした人々を映画第一世代とすれば、20世紀早々、その呪文を解いた人たちを第二世代ということができるでしょう。本当の映画は、実はそこから始まるのです。



●ディレクター・システムが定着 
 世界の映画市場に君臨するまでに成長したパテ・フレール社は、役者から監督に昇進したアイディアマンのフェルディナン・ゼッカを中心に、アンドレ・デード、マックス・ランデールといった喜劇役者を起用。

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●苦み走ったいい男 マックス・ランデール(マックス・ランデ)


一方、レオン・ゴーモンの元、僅差でパテ社を追うゴーモン社の中心人物は、ヴィクトラン・ジャッセ(1907年にエクレール社に移籍)、ルイ・フィヤード、ジャック・フェデール、エミール・コールといった監督や作家たち。


こうした人たちによってライバル2社が競い合い、面白くて楽しいヨーロピアン・コメディとも言うべき映画がたくさん生まれました。


つまりそれまでの映画は、カメラマン、ライトマンは別として、ジョルジュ・メリエスのように一人の人間が企画し、ストーリーを考え、セットやコスチュームをデザインし、自分で主役を演じていたものでしたが、それが撮影スタジオの建設と平行して、監督、撮影、セット、照明、衣装、というように専門化、分業化して来た訳です。


特に売れる映画を作るために起用されたのは、パントマイムの役者や喜劇役者、それにサーカスからはアクロバットのうまい役者が抜擢されました。ある意味で命を張ったこれらのコメディには、演技力の他に人並みはずれた身軽さが要求されたからです。



●パテ社とゴーモン社のコメディ合戦


それではここで、1906年、パテ・フレール社製作の「ピアノ運び」と、1907年、ゴーモン社、エミール・コール監督の「カボチャ競争」という、ショートフィルムをご覧頂きます。


「ピアノ運び」は、二人の男がなぜビアノを運ぶことになったのか、とか、どこまで運ぶのか、などということは一切関係なく、ピアノという重い道具を苦労して運ぶそのプロセスだけを面白おかしく描いています。

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 ●「ピアノ運び」1906


「カボチャ競争」も同様に、なぜカボチャが転がるのかは問題ではなく、転がるカボチャに右往左往する街の人たちのアクションを滑稽に描いています。ここに、いわゆる音声を未だ持たないサイレント映画の特徴を見ることができます。つまり、説明的なものを極力排して、アクションだけで分かるように構成されているのです。いわゆる「理屈抜きに面白い」。それが無声映画の醍醐味といえるのではないでしょうか。

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●「カボチャ競争」1907


●シリトリのようにつなげば、一連の動きに見える
 それではこの2作を少し細かく見てみましょう。それぞれのカットは俳優の演技を元に必要な情景(空間)が必要な長さ(時間)だけ切り取られ、前のカットの最後の動きは、見事にあとのカットの最初に受け継がれています。

 つまりちょうどシリトリ遊びのようにカットがつながれていくことによって、観客はカットが変わっても俳優の動きを継続したものとして受容します。これらの作品は現在の目で見ても、話の流れやアクションの流れにまったく違和感を覚えないほど巧妙です。実に見事なアクションつなぎです。ドラマづくりに欠かせないこの高度な編集テクニックが、モンタージュ理論など生まれていないこの時期にすでに実際に行われていたのは驚きです。

 考えてみれば、彼らは理論を元に映画を作っていたのではないのです。どうすれば分かりやすくて面白い映画が作れるか。そのための工夫や発見や実験が撮影や編集テクニックとして蓄積されて行った……つまりモンタージュ理論は、のちの識者が後付で整理したものに他ならないのです。これらの作品から、映画づくりに情熱を燃やす当時の人たちの意気込みが伝わってきませんか。



●初期デンマーク映画は、おおまじめ


フランスとはまったく異なる路線で台頭してきたのはデンマークです。北欧ではバイキングの血がなせる業か、映画はもともと覗き見から発展したこともあって、この国では映画の最初はきわどい娯楽だったようです。けれどもその中から、ここに掲げるオルガー・マドセンのようなまじめな作家が登場します。彼が1906年に製作した「スカイシップ」。これは宇宙船がとある惑星を訪れるという100年以上も前の映画です。

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(以下、活弁口調で)


宇宙の果てに生命はありやなしや……古今の謎を解かんがために勇躍地球を出発した最新鋭宇宙船艦「エクセシア」号。果てしなき宇宙空間でのあらゆる艱難をかいくぐり、首尾よくとある惑星に着陸してみますると、な、な、なんと、そこには空気もあり重力もあるではないか。これではまるで地球そのもの。こりゃーありがたい。

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  更なる感動はこれまた人間そっくりな異星人大挙してのお出迎え。襲撃を覚悟の一行には意外や意外の状況でありましたが、王が自ら案内してくれた大円鏡の前で合点がいく。これは過去を映し出すタイムマシンであります。そしてそこに映し出されたものは明らかに、太古から続くおぞましい人類の戦争の歴史でありました。

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  「われらは平和を求めて大昔にこの惑星に移住してきた旧人類である。人類みな兄弟。これからは旧人類と新人類、手を携えて平和を築こうではないか」
 
王の一言を皮切りに始まる歓迎レセプション&大パーティ。新しい恋も芽生えたような芽生えないような……。まずはめでたしめでたし。1巻の終わりでございます。

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 ●「スカイシップ」1906


●画面サイズの認識が生まれた
 
ここに切り出した「スカイシップ」のスチル写真。そう言えばありましたね、昔、映画館の外に名場面の写真展示が。それを見て面白そうだということでチケットを買ったものですが。どうでしょう、この画面サイズのバリエーション。


画面サイズというのはカメラの位置から得られる対象の大きさとそれを包む「空間」の広さです。同じ場所に三脚で固定したままのカメラではひとつの画面サイズしか得られませんが、カメラを近づけたり遠ざけたりすることによってロング(遠景)にもなればアップ(近景)もにもなる。カメラが軽便になった20世紀のはじめにそれが認識されたのですが、それが上手に撮り分けられていると思いませんか。


  そしてこの映画でも1カットの長さは長短とりどりです。これらの作品にはもう、同一サイズ1分1カットで見せていた初期の名残りはありません。映画はもっと自由な「空間」と「時間」を持つようになったのです。


★次回はアニメーションの誕生について



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