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078 手回し映画は、次の世代に託された。 [手回し映画時代の終焉]

078  手回し映画は、次の世代へ託された。
         ハリウッド主導の映画の時代へ

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●グロリア・スワンソン サイレント時代の彼女は知らないが、1920年代の映画界の裏側を描いた「サンセット大通り」(1950)は超おすすめ。
1950 サンセット大通り.JPG●ラストの鬼気迫る演技は圧巻

 第一次世界大戦は、民主主義を守るという名目で最後にアメリカが参戦したことで1918年11月11日、一挙に終結。けれども、映画先進国だったフランス、イタリア、イギリスを初めとするヨーロッパ各国の映画産業は戦争で衰え、唯一ハリウッドだけが急速成長を遂げていました。
 1920年代、映画は手回し・サイレントの時代からようやく電動式・トーキーの時代へと進むことになり、映画創生期のお話はここに終わりを告げます。

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●400ftフィルム使用の電動式撮影機 サイレントだから1秒16コマで1巻約10分


●廃墟として残った破天荒の城壁
 「ローリング・トゥエンティ」と呼ばれるハリウッドの黄金時代が幕を開けても、サンセット・ブールバード(大通り)脇の草むした広大な広場には、まだあの古代バビロンの幻「イントレランス」(1916)の大城砦が廃墟の姿でそびえ立っていました。

 D・W・グリフィスは、誰もが思いつかなかった4つ時代の物語が時空間を超越して並行進行するという、現在の言葉でいえば奇想天外な「パラレル・ワールド」的着想と、誰もがなし得なかった前代未聞のスケールを持つ「イントレランス」に、"これぞ、映画
"、という絶対の自信を持っていたはずです。

 そしてそれこそ、映画が絵画や写真とは決定的に異なる、時空間超越のタイムマシンの原型であり、例えそれが興行という面で失敗作とされたとしても、芸術としての「イントレランス」の評価は揺るぎないものであるということも。 

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●「イントレランス」のオープンセットは1925年頃まで残されたままだった。

 今ここに、崩れかけても未だ威容を誇るそのセットを感慨深げに眺めている青年は、ウォルト・ディズニー、22才。
 3年前、1920年に始めたばかりのアニメーションの事業に失敗し、ハリウッドに活路を求めて兄と2人で故郷カンザスシティから鞄一つで出てきたばかりでした。

 映画監督になりたくて、ラ・ブレア通りに面したチャップリンのスタジオの前を行ったり来たり。思い切って「ユニバーサル」社のスタジオに乗り込んだのですが、「監督は間に合ってるよ」と断られ、「パラマウント」で最初の「十戒」(1923)を撮っていた大監督セシル・B・デミルのコンテを書いたりしているのでした。
(ディズニーはこの3年後にユニバーサル映画のカール・レムリを紹介され、「しあわせうさぎのオズワルド」シリーズを作るようになります)

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●セシル・B・デミル               ●カール・レムリ
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●「しあわせうさぎのオズワルド」とウォルト・ディズニー

 「イントレランス」の廃墟は、映画が手回し・サイレント時代の終わりを告げる象徴とも言えるものでした。映画の基礎を築いた世代が、次の世代にバトンを渡そうとしています。 
 そこにはすでに、ディズニーのように新時代を切り拓く映画の申し子のような才能が集まり、世界一の映画産業の舞台となったハリウッドの空気を高揚させていました。
 特に戦後、ヨーロッパから優秀な監督や魅惑的な女優がたくさん流入したことも、ハリウッドの振興に大きく寄与することになります。第一次世界大戦中には、ようやく望遠レンズを使えるレンズ交換式の撮影機も登場しました。


●今日のメジャー映画会社は、1920年代に揃い踏み
 D・W・グリフィスは1915年の「国民の創生」(1915)と1916年「イントレランス」(1916)の2作で現代に通じる映画の文法を生み出したことで<映画の父>と讃えられ、世界映画史にその名を刻みました。

 
1919年にグリフィスは、自分が見出した女優メアリー・ピックフォードとチャールズ・チャップリン、ダグラス・フェアバンクスと4人で映画会社を創立します。それが「ユナイテッド・アーチスツ」です。

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●D・W・グリフィスと「ユナイテッド・アーチスツ」の創設者たち 1919  

 これでハリウッドには、すでに最古参のカール・レムリの「ユニヴァーサル」をはじめ「MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)」「20世紀フォックス」「パラマウント」「コロンビア」「ワーナーブラザース」といった今日につながるメジャー会社が揃いました。 

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●右下/一時ディズニー映画を配給したこともあるハワード・ヒューズ(映画「アビエーター」1904 のモデル)のRKOだけは現在消滅している。
 

●映画は次の世代に受け継がれた
 
 このあと映画は、D・W・グリフィスが生み出した映画技法を「映画の文法」として理論的にまとめ実践したセルゲイ・エイゼンシュテイン、フセボロド・プドフキンといった人たちに受け継がれます。

 ルイス・ブニュエル、フリードリッヒ・ムルナウ、ジャン・コクトーといった人たちは、映画の可能性を広げる実験的な作品づくりを進めます。
 文芸のジャンルではロベルト・ヴィーネ、フリッツ・ラング、アベル・ガンス、といった監督たち。また、ロバート・フラハティなど、記録映画にも名作が現れてきます。
 一方で映画は娯楽の頂点に上り詰め、楽しさを創造する監督や俳優たちに引き継がれます。

 創造性と芸術面を支える技術的進化も著しく、
1927年以降トーキー時代へ。1935年以降はカラー、1953年以降ワイドスクリーン、ステレオ音響の時代へと発展して、今やすべてがコンピュータ仕様、映像はCG全盛の時代へと至った訳です。

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●「映画前史~映画誕生」を終えるにあたって
 この「タイムマシン創世記」は、古代から書き起し、「映画前史」「映画誕生」「映画創生期」と3期にわたってサイレント映画時代の終わりまで、ほぼ80回の連載となりました。
 みなさんもご存知のチャールズ・チャップリン、ウォルト・ディズニーが登場したところまで、ようやくつなげることができました。(と言ってもまだ私自身生まれていない
1920年代ですが)


 では、なぜこのブログを終えるのか。ここでその疑問に答えておかなければなりません。
 ここまでのお話でみなさんは、映画は写真が動いたとたんに、どの開発者も例外なく「色彩」と「音声」に思い及び、さらにはすぐに「立体」効果をも考えた、ということを思い起こしていただきたいと思います。

 実はこのような映画は、ヨーロッパでもアメリカでも、映画誕生直後からそれぞれの研究者によって「総合映画」「完全映画」としてイメージされていたのです。

 とすれば、現在の映画は、技術的には全くその延長線上にあるにすぎないのです。つまり、今日の映像技術は、ある意味で、120年前に思い描かれた究極ともいえる映画のイメージを、現時点の最先端技術でスケールアップしてきたにすぎないということが分かります。

 従って、私が語りたいのは〈人はなぜ、このようなものを考え出したのか〉ということですから、ここまでご覧いただければ、この後のトーキーの誕生、総天然色カラー時代、ワイドスクリーン登場、3D映画出現と続く映画技術史を、いちいち詳細に追いかける必要はないということがお分かり頂けると思います。

  

 ところで通常の映画史は、人物あるいは技術を単位に語られることが多く、それは知識の取得としてはいちばん簡潔で分かりやすいのですが、では、いろいろな人物がどのように絡み、技術が相互の関係の中でどのように発展していったのかという全体の動向を同時代の流れとしてとらえたいと思うと、それではなかなか把握しにくいのでした。
 私の興味は、時代のタイムラインをベースに、研究者や技術がどのように絡み合ったのかを知りたかったのです。人物同士の交流や技術情報の伝播は、研究開発とは決して無縁なものではないと思ったからです。

 例えば、リュミエール兄弟やトーマス・エディスンが映画の研究に乗り出そうとしたとき、他の研究者はどこまで進んでいたのか、とか、ジョルジュ・メリエスとシャルル・パテはどのような立場と関係だったのか、とか、いう具合です。
 このような視点をこのブログに持たせたかったため、「創世記」という物語形式をとってみたのですが、成功したとは言えず、同一人物が何回かの記事に分かれたりして、かえって複雑になってしまった感があり、反省しきりです。
 その代り、書物なら何度も巻頭の登場人物紹介をめくり直さなければならないところを、1回単位でご覧いただいても
人物や技術が分かるように、写真のフォローには気を使いました。その分、継続してご覧いただいている読者には、うっとおしく感じられたかもしれません。

 とにかく、資料を繰りながら感じたことは、第七芸術と呼ばれる映画というメディアの奥の深さです。それは映画が創造や表現という感性の世界だからだと思います。またクロスオーバーする技術の発展経緯、人間関係の興味もありました。
 この映画前史から映画誕生までの物語は、初めは仕事に関連して、その後は自分自身の生涯学習として始めたものですが、ご愛読頂いたみなさんのおかげで、当初から予定していた着地点を迎えることが出来ました。本当にありがとうございました。



これまでに採り上げた主な人物は下記の通りです。
  左袖の「記事検索」欄に下の氏名をコピーし、リターンキーを押すと関連記事が提示されます。

◎映画の機械的な基礎部分を作り上げた人たち
エドワード・マイブリッジ、エチエンヌ・マレー、オーギュスタン・ル・プランス、フリーズ・グリーン、エミール・レイノウ、ジョージ・イーストマン、ウッドヴィル・レイサム、
トーマス・アーマット、チャールズ・ジェンキンス、リュミエール兄弟

 
◎映画の表現手法の基礎を見出した人たち
ウィリアム・ディクスン、リュミエール兄弟、ジョルジュ・メリエス、アリス・ギイ、エミール・コール、エドウィン・ポーター、D・
W・グリフィス、トーマス・インス、ビリー・ピッツァー

◎映画を事業として拡大した人たち
トーマス・エディスン、ロバート・ポール、シャルル・パテ、レオン・ゴーモン、カール・レムリ

◎初期のムービー・スター
ブロンコ・ビリー・アンダースン、フローレンス・ローレンス、メアリー・ピックフォード、リリアン・ギッシュ、メエ・マーシュ、マック・セネット、ウィリアム・S・ハート、チャールズ・チャップリン、


ウォルト・ディズニーについては、別ブログにシリーズを掲載。
  「
ディズニー長編アニメ再発見

   http://fcm.blog.so-net.ne.jp/archive/c45409934-1
 



デル株式会社


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kawasemi

映画に対する博識に驚いています。後世に残してほしいと思います。
by kawasemi (2015-07-25 07:42) 

さる1号

映画の作り手側の部分に特別興味は無かったのですが、読み続けるうちに驚きとともに興味が湧いてきました
技術や表現方法の発展や人間関係、ビジネスの裏側、など興味深く拝読いたしました
有難うございました
ただ、自分の中のエジソンのイメージが・・・・^^;)
by さる1号 (2015-07-25 08:56) 

sig

kawasemiさん、こんにちは。
お言葉ありがとうございます。映画史というと大抵は作品や監督などに焦点を合わせた展開となるのですが、何か別の視点から考えてみたいと思いました。
基本は子供の頃に疑問を感じた「人は何でこんなものを考え出したんだろう」というところです。するとその根源は映画史以前にあることがわかりました。そこでこのブログも、映画が声を持つ直前ですが、上記の理由は自分なりに解けましたのでここでおしまいということに致しました。どうもありがとうございました。
by sig (2015-07-25 14:44) 

sig

さる1号さん、こんにちは。いつもありがとうございます。
次回あたりに書きますが、映画は実は途方もない発明であり、120年経って今やっと研究はその緒についたばかりなんではなかろうか、という気がしています。
エディスンのイメージを踏みにじってしまったようですが、物事にはみんな裏がありますし、マイナス面のあれこれは、みんな周囲の人間がやったこと。こういう場合はいつだって本人は潔癖でいていいんです。笑
by sig (2015-07-25 14:52) 

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