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011 江戸を沸かせた、元祖/日本のアニメ。 [影を動かす試み]

011 江戸を沸かせた、元祖/日本のアニメ。
静止画を動かす―3 
日本の影絵芝居-2

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●江戸写し絵の様子 「風呂」と呼ぶ幻灯機を1人1台、複数台使って演じる。
 (同、ちらしより)

 前回は「江戸写し絵」の公演と聞いて、そんな技術が伝承されていたのかと馳せ参じ、一観客として、写し絵がまさしく目の前で動いて見えた様子について書きました。今回はその舞台裏について、映画前史としての視点から感じたことをまとめてみようと思います。


●幻灯機の伝来は18世紀なかば、オランダより
 そもそも「江戸写し絵」のルーツとなる「幻灯」は、日本にもあったのでしょうか。調子のいい掛け声を発しながらはさみを動かし、みるみるうちに黒い紙を切り抜いて風景や人物を作り出して見せる「切り絵」。それを影絵として見みせる手法は寄席などでも演じられていたようですが、残念ながら「マジック・ランタン」(幻灯機)のような仕組みを持つものは無かったようです。
 
それが日本に伝わったのは1769年(明和6)。この頃日本は鎖国の真っ只中。ただ一つ開けられていた長崎出島のオランダ商館あたりに、ギヤマン(粗悪なダイヤモンドやガラス製品)などといっしょに伝わったものでしょうか。

IMGP6931.JPG●西洋の初期のマジック・ランタン 17世紀半ば

 
影絵を鑑賞するという下地はありましたから、南蛮渡来の「幻灯」は早速興行師の手にするところとなり、江戸では「招魂燈(えきまんきょう)」、上方では「長崎かげ絵」「おらんだ影絵」と呼ばれて人気が出てきました。初めはろうそくの明かりで見せていたものが、やがては灯油を使い、反射鏡を使ってより明るく映るように改良が進みました。
 
この見世物を上野で見て、ハタとひざを打った男がおりました。日本橋の染物絵師・亀屋都楽。この人こそ「江戸写し絵」を編み出した「元祖・活動屋」と呼べる人です。
※日本では映画は最初、「活動写真」と呼ばれていた。


●南蛮渡りの幻灯は、日本独自のかたちに変貌
 
時は享和年間(1801~1803)。舶来の影絵幻灯を見た都楽は「この絵が芝居のように動いたらどうだろう。動かないはずの絵が動き出したら、みんなどんなに驚くことだろう」。
 そこで、何とか
コネを探し出して「マジック・ランタン」を見せてもらったのでしょう。するとそれは金属製だから重い。それに灯火の熱が伝わって熱くて触れない。ドンと据え置くしかありません。でも、絵を写す仕掛けは分かりました。絵は木枠にはめられた薄いビードロ(ガラス)に、泥絵の具のような透明度の悪い顔料(がんりょう)で描かれていました。
 
 彼
はもっと鮮やかな色彩を出すために、当時は顔料の調合も扱っていたらしい医師に相談して、絵の具を改良しました。光源となる灯油も改良しました。そしていちばんのアイディアは、軽くて熱くならない幻灯機を作ったことです。
 桐の箱にレンズの筒と明かりを仕組んだもので、これを「風呂」と呼びました。これなら胸に抱えられます。頭上に掲げられます。彼は複数の人がこの風呂を抱えて自在に動き回って演じる幻灯を考えたのでした。都楽がイメージしたのは、首から吊るした箱状の舞台で人形を操ってみせる、当時はやりの傀儡
(くぐつ)ではなかったでしょうか。

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●胸に下げたミニステージで、謡いながら人形を操る江戸の傀儡子(くぐつし)

 
一方彼は、自分でそれを演じるために、噺家(はなしか)の三笑亭可楽に弟子入りして芸を磨きました。こうして享和3年(1803)、牛込神楽町「春日井」という茶屋で初公開に及びました。「江戸写し絵」三笑亭都楽の誕生です。


●西洋でも、絵を動かす方法が考えられていた
 西洋の「マジック・ランタン」も19世紀になると、種板……絵が描かれたガラス板のことですが……そのガラスを極限まで薄くして二枚重ねにすることで、風景を夏から冬へと転換したり、種板の木枠に細い棒をつなぎ、その先に船をあしらって、棒を上下することで船が荒波にもまれる情景を見せたり、ネズミを小さく書き込んだガラス板を回転させることで、大口を開けてベッドに寝ている男の口にネズミが潜り込む様子を連続して見せたりという具合に、動きを与える仕掛けを施したものが出てきます。 
 都楽も「江戸写し絵」で仕掛けを操って絵を動かしています。もしかして西洋よりも都楽の方が早かったかも知れません。

  このように、全く接触の無い東西の国で、ほぼ同時期に同じような発想が生まれているということが、映画前史ではとても重要なことだと思うのです。こういった例は、このあともいろいろな場面で見られるようになります。
 


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●左/前後に移動できるように車をつけたマジック・ランタン
 右/複数の種板(スライド)で絵を動かす工夫を施したマジック・ランタン
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●絵を動かす仕掛けを組み込んだマジック・ランタンの種板
 上/右のレバーを上下させると船が左右に大きく揺れる
 下/右の棒を押したり引いたりすると、きこりがのこぎりを引く
 EYEWITNESS GUIDES {CINEMA}より



●動かない背景と、動く人物を別に描いた

 ところで、「風呂」を操作する都楽の写し絵が、「マジック・ランタン」と決定的に異なる点があります。まず画期的だと思うことは、四角い枠内に書いた絵をそのまま四角く写すのではないということです。
 風景も人物も輪郭以外は黒く塗りつぶしてあるため枠は映らず、真っ暗なスクリーンに映るのは樹木や社、人物の姿といった形そのものです。
 それは、上演に当たって今日のようなスクリーンの縦横比の制約を受けないことを意味します。
 

 更に彼は、場面の情景を分解して絵にすることを考えだしました。
 
情景の要素は「背景」と「登場人物」です。前回ご覧頂いた「日高川<渡し場の段>」を例にとれば、風景の要素は日高川の流れと、渡し守の小屋と船、そして道成寺。人物は渡し守と安珍と清姫の三人。
 まず渡し守…これは猪牙船(ちょきぶね)を操るさおを持ち、さおには漕ぐ動きをつける仕掛けがあります。清姫は白拍子姿と、蛇身となって泳ぐ姿が用意されています。


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●江戸写し絵「田能久」 
黒いスクリーンに別々に描いた絵を映すため、枠にとらわれずに広い画面構成が可能となった。(同、ちらしより)

 そして、登場人物一人一人について、演者がそれぞれ風呂を操作するということは、まさにお芝居と同じです。それは種板の枠に制約されないで自在に動き回ることができ、ランプの明るさと会場が許す限りの広い画面を構成できるという意味を持ちます。

 スクリーンには丈夫な和紙が使われました。その後ろ、バックヤードは、背景を映す数個の風呂と演者が往来するためのスペースが確保されています。キャラクターにつける演技は「文楽」や「人形浄瑠璃」に近く、演者の移動は「能」のすり足という感じ。風呂を胸に抱えた演者が左右に移動すれば、それはそのままキャラクターの左右移動。演者が風呂を弧を描くように動かせば、だるまが床の間の掛け軸からポーンと抜け出す演技となります。

IMGP6873.JPG●江戸写し絵の1シーン(同、ちらしより)
風呂概念図b.JPG

●さて、「日高川」の舞台裏を覗いてみると・・・
★「背景」の操作
 
遠景は風呂をスクリーンの近くに設定して小さく映します。近景はスクリーンから離して大きく映します。同様に、風呂を抱えて演者が後退すれば絵は大きくなり、前進すれば絵は小さくなります。この動きで、近づく・遠ざかる、という感じが出せます。これは何と、今日の映画で言うズーム・イン、ズーム・アウトの効果です。

★「日高川の流れ」の表現
 
スクリーン裏の比較的奥に固定された背景を受け持つ風呂が写し出す日高川の流れはスクリーン中央に大きく写り、流れの揺らめきは川の演者が、波の形を変えて描かれた横2枚の種板を往復させて作り出します。

★「渡船場から漕ぎ出す船」の場合、船頭と安珍が船に乗ったあとは2人で呼吸を合わせてその船を対岸まで横移動です。その間、川の演者は川の揺らめきを続け、船頭の演者は舟を漕ぐ仕掛けを動かしている訳です。

★「道成寺、次第に近づく」。これは道成寺を描いた風呂を乗せた台を、スクリーンから少しずつ後ずさりさせることで道成寺の絵が大きくなってきます。


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★「追ってきた清姫が川を渡る」というシーンでは、白拍子姿の絵と蛇身の清姫の絵を持ち、明かりを明滅させながらすげ替えるのですが、その仕掛けはレンズの前に付けられた濃い目の紗幕です。
 演者が紗幕をヒラヒラさせながら少しずつ降ろしていくと白拍子の姿が暗くなって行きます。紗幕をすっかり下ろして白拍子の姿が消えた瞬間に蛇身の清姫の絵に切り替えて、今度は紗幕をヒラヒラさせながら少しずつ上げていくと世にも恐ろしい蛇身に変わっているという訳です。これは映画で言うフェード・アウト、フェード・インです。


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★「釣鐘に巻きついて紅蓮の炎を吐く蛇身の清姫」では、鐘のふもとの清姫、鐘に巻き付いた清姫、蛇身から炎を巻き上げている清姫、と3枚の絵を使い、2人がかりの風呂操作となります。
 まず、「鐘のふもとの清姫」の絵を紗幕で次第に消しながら、もう一台の風呂で「鐘に巻き付いた清姫」をその絵に重ねて映し出します。次にその絵を紗幕で消しながら「蛇身から炎を巻き上げている清姫」の絵を重ねて映し出します。これで、前の絵が次第に消えると同時に次の絵が現われるという効果になります。これは映画で言うディゾルヴです。


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●左/「日高川」(江戸写し絵のちらしより)

●映画技法のフルコースだった「江戸写し絵」 
 
200年以上も前に考案された都楽の「江戸写し絵」。それは背景とキャラクターを書き分けた上、動作を最小限に分解してコマ分けしたものを素早く切り替える手法で、動きとして見せています。これは現代のアニメーションの基本作法です。

 
そればかりではなく、今日の映画技法として定着しているフェーディング(溶明、溶暗)、ディゾルヴ(溶暗と同時に溶明)、オーヴァーラップ(重ね写し)、ズーミング(拡大、縮小)、更にはキャラクターの移動に添って背景も移動するパノラミング(パン)さえも伴ったテクニックを備えて、ワイドスクリーンにカラーで上映されたものだったのです。

 
 
都楽の「江戸写し絵」は、この技術を今に復活させた平成玉川文楽さんはじめ劇団みんわ座のみなさんの努力によって、伝統芸は踏襲しながら、技術的にはスクリーンや光源などに改良が加えられて、大きな会場で明るく公開されるようになりました。
 さらに海外に招聘されて高く評価されるところとなり、今では世界の映画史家が都楽の「江戸写し絵」に注目しています。こうして知られざる日本の伝統芸能は、映画という分野で世界の脚光を浴びることになったのです。
 それにしても、もし都楽が映画誕生後も健在だったとしたら、どんなに面白いムービー・マジックを見せてくれたかと思うのです。


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●「江戸写し絵」を現代に復活させた平成玉川文楽さん(同、ちらしより)
 江戸期の「風呂」を復刻して演じています。


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路渡カッパ

まさに試行錯誤の賜物?人を驚かせ楽しませようとする情熱は凄いものですね。
すでに現在に繋がる映画やアニメのテクニックが垣間見れるというのも驚きです。(^_-)
by 路渡カッパ (2015-03-02 00:38) 

sig

路渡カッパさん、こんばんは。
確かにいろいろ試行錯誤の末のことでしょうね。江戸時代からすでに、今日の映画技法に通じるこのような演じ方が行われていたということは、海外の映画史家も近年高く評価するようになったということです。
by sig (2015-03-02 01:25) 

響

創意工夫に溢れる時代だったのですね。
その頃にいまのLEDライトを渡してみたです。
清姫・・・
どこが姫じゃ~!って突っ込みを入れたくなりました。
by (2015-03-02 02:39) 

sig

響さん、こんにちは。
やりたいことは山ほどあるのに、その解決法は全部自分で考えなければならない・・・。何でもそろっているのに、その利用の仕方が分からない・・・(これは自分のこと)。昔と今は正反対ですね。
昔、女性はみんな姫でした。中でも清姫さんはその名のごとく穢れなく、町一番の器量良し。それをこんな形相にしたのは裏切った男のせい。いつの世も、みんな男が悪いのですよ。
この、おどろおどろしいお話の世界にLEDはどうでしょう。明るすぎませんか? 笑

by sig (2015-03-02 23:01) 

駅員3

なんと200年も前の江戸にこのようなものかあったとは素晴らしい!!
日本人の知恵は本当に素晴らしいですね。
これがの世界に広まらなかったのは鎖国のせいでしょうか?
世界に通用する技術だと思います
by 駅員3 (2015-03-03 07:28) 

YUTAじい

おはようございます。
何時もありがとうございます。
手順書通りに中々上手く捗りません・・・かなり自己流です。
by YUTAじい (2015-03-03 08:33) 

sig

駅員3さん、こんにちは。
海外に広がらなかったのは鎖国のせいということは、十分に考えられるのではないでしょうか。けれどもその前に、技術は限られた人にしか伝えないという、ある種の秘密主義ということも関係していたかもしれませんね。ヒコーキなども江戸自体に考えた人がいるそうですが、日本人の場合は謙遜が美徳でしたから、PRが下手ということもあるかもしれませんね。
by sig (2015-03-03 13:26) 

sig

YUTAじいさん、こんにちは。
あの繊細な技術で、活動写真の機械を作っていただけませんか。笑
by sig (2015-03-03 13:29) 

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