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フィルムは、電気羊の夢を見るか? [まとめ 虚像から実像への希求]
フィルムは、電気羊の夢を見るか?
●リドリー・スコット監督「ブレードランナー」1982
原作・フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
フィルムで撮り、上映する時代は終わった……。これが今、世界の映画界を吹き荒れている旋風です。特に世界を代表する日本のフィルムメーカーが、この春以降、保存用以外の映画フィルムの生産を終了したという話ですから穏やかではありません。映画は誕生以来120年近く、フィルムによって製作・上映されてきたのですから。
映画の誕生は、19世紀がまさに幕を閉じようとしている1895年12月28日のパリ。オペラ座近くのグラン・プールヴァールに面したグラン・カフェの地下サロンで、フィルムに写し込まれた連続写真がスクリーンに初めて動画として投影されたのでした。
19世紀後半に写真技術が完成すると、映画の開発はいろいろな国々で同時多発的に進められるようになりました。フランスではマレー。アメリカではジェンキンス。イギリスではグリーン。ドイツではスクラダノフスキー兄弟。イタリアではアルべリーニなどです。
これらの人々を退けてフランスのリュミエール兄弟が映画の発明者としての栄光を勝ち取った訳ですが、映画はリュミエール兄弟の頭脳だけで完成したものではなく、当時のハイテク技術のクロスオーバーによって初めて実現できたのでした。その意味で映画は<19世紀末最先端テクノロジーの集大成>と見ることができます。
20世紀に入ると映画技術のクロスオーバーは更に進み、いろいろな分野の技術革新を真っ先に取り込んで、サイレントからトーキーヘ、モノクロからカラーヘ、スタンダードからワイドスクリーンヘ、モノラルからステレオサウンドヘと急速な進化を遂げました。その一方で映画は世界共通の言語に成長し、名監督や大スターを生み、国際的な映画祭が人気を博するなど、娯楽性、芸術性、文化性を高めていきます。
こうした流れの中で映画は20世紀の後半を迎えますが、1980年代から急速に映画に関わりを持つようになったコンピュータが、業界の様相を大きく変えるようになりました。DCP(デジタル・シネマ・パッケージ)と呼ばれる、製作から上映に至るデジタル化のトータルシステムです。
特筆すべきは3DCGで、それは仮想世界を自在に顕在化し、架空のキャラクターが生身の人間に代わって主役をつとめるまでになりました。DCPの浸透によって、フィルムを中心とした映画産業特有の現場のコミュニティや、フィルムならではの表現の妙味が無くなることなどが業界では危惧されています。
1950年代に映画のライバルとしてテレビが登場した時。当初、映画とテレビは水と油の関係でしたが、いつの間にか上手に棲み分けるようになりました。しかし今度は「アナログ(フィルム)かデジタルか」の二者択一ではなく、選択肢は基本的にデジタル以外に無くなるのです。デジタルの世界で映画は変貌するのか、しないのか。
アナログの典型であるフィルムは、コンピュータ仕掛けの映画の登場を夢想だにしなかった。けれどもFILM(映画)は、0と1の信号に形を変えてもその本質は変わらないことを誰よりもよく知っている。
だから、デジタルの世界にも簡単に同化してその技術を包み込み、無限ともいえる羊の数を数えながら、より自由な夢を見続けることができるのではないだろうか。
●リドリー・スコット監督「ブレードランナー」1982
原作・フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
フィルムで撮り、上映する時代は終わった……。これが今、世界の映画界を吹き荒れている旋風です。特に世界を代表する日本のフィルムメーカーが、この春以降、保存用以外の映画フィルムの生産を終了したという話ですから穏やかではありません。映画は誕生以来120年近く、フィルムによって製作・上映されてきたのですから。
映画の誕生は、19世紀がまさに幕を閉じようとしている1895年12月28日のパリ。オペラ座近くのグラン・プールヴァールに面したグラン・カフェの地下サロンで、フィルムに写し込まれた連続写真がスクリーンに初めて動画として投影されたのでした。
19世紀後半に写真技術が完成すると、映画の開発はいろいろな国々で同時多発的に進められるようになりました。フランスではマレー。アメリカではジェンキンス。イギリスではグリーン。ドイツではスクラダノフスキー兄弟。イタリアではアルべリーニなどです。
これらの人々を退けてフランスのリュミエール兄弟が映画の発明者としての栄光を勝ち取った訳ですが、映画はリュミエール兄弟の頭脳だけで完成したものではなく、当時のハイテク技術のクロスオーバーによって初めて実現できたのでした。その意味で映画は<19世紀末最先端テクノロジーの集大成>と見ることができます。
20世紀に入ると映画技術のクロスオーバーは更に進み、いろいろな分野の技術革新を真っ先に取り込んで、サイレントからトーキーヘ、モノクロからカラーヘ、スタンダードからワイドスクリーンヘ、モノラルからステレオサウンドヘと急速な進化を遂げました。その一方で映画は世界共通の言語に成長し、名監督や大スターを生み、国際的な映画祭が人気を博するなど、娯楽性、芸術性、文化性を高めていきます。
こうした流れの中で映画は20世紀の後半を迎えますが、1980年代から急速に映画に関わりを持つようになったコンピュータが、業界の様相を大きく変えるようになりました。DCP(デジタル・シネマ・パッケージ)と呼ばれる、製作から上映に至るデジタル化のトータルシステムです。
特筆すべきは3DCGで、それは仮想世界を自在に顕在化し、架空のキャラクターが生身の人間に代わって主役をつとめるまでになりました。DCPの浸透によって、フィルムを中心とした映画産業特有の現場のコミュニティや、フィルムならではの表現の妙味が無くなることなどが業界では危惧されています。
1950年代に映画のライバルとしてテレビが登場した時。当初、映画とテレビは水と油の関係でしたが、いつの間にか上手に棲み分けるようになりました。しかし今度は「アナログ(フィルム)かデジタルか」の二者択一ではなく、選択肢は基本的にデジタル以外に無くなるのです。デジタルの世界で映画は変貌するのか、しないのか。
アナログの典型であるフィルムは、コンピュータ仕掛けの映画の登場を夢想だにしなかった。けれどもFILM(映画)は、0と1の信号に形を変えてもその本質は変わらないことを誰よりもよく知っている。
だから、デジタルの世界にも簡単に同化してその技術を包み込み、無限ともいえる羊の数を数えながら、より自由な夢を見続けることができるのではないだろうか。
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