072 イタリア史劇の最高峰「カビリア」 [大作時代到来]
072 スペクタクル映画の古典「カビリア」
●「カビリア」でソフォニスバを演じる妖艶な女優、イタリア・マンチーニ
1914年、歴史映画の力作大作を生み出していたイタリア映画に、止めをさすような快作が生まれました。「カビリア」です。この映画こそ、今日私たちが観ている長編映画につながるスケールと表現技術を備えたものでした。
けれども……
●面白さ満載、これこそ映画
イタラ社の製作者でもあるジョバンニ・パストローネは、明らかに「カビリア」を芸術性の高い作品に仕上げようと考えていました。また興行的には、好評を博した前年公開の「ポンペイ最後の日」の続編であるかのように、火山の噴火から始めることにしました。
時は紀元前3世紀。地中海の支配を巡ってローマとカルタゴが戦っていたポエニ戦争を背景に展開する、気宇壮大な物語です。
シチリア島の貴族の幼女カビリアは、エトナ火山の噴火のドサクサに、乳母といっしょにフェニキアの海賊にさらわれてカルタゴへ。そこで邪教モロクの大司祭に買われてあわや邪神のいけにえに。そこをカルタゴの貴族フルビオと怪力マチステに助けられ、王女ソフォニスバの宮殿にかくまわれます。
何年か経って、ローマの大艦隊がカルタゴと同盟関係にあるシラクサを攻撃。ソフォニスバの許婚でヌミビアの王マッシニッサは遠征し、手柄を上げて凱旋するのですが、ソフォニスバとの婚姻を願うアフリカ人スキピオの謀略によって殺されてしまいます。それを知ったソフォニスバは悲しみのあまり自害。フルビオとマチステ、カビリアに魔手は迫る。三人の運命やいかに。
●ハンニバルのアルプス越え
●邪神モロクの大神殿でいけにえとして捧げられようとしているカビリア
●カビリアを救い出す怪力マチステとフルビオ
このように「カビリア」は、エトナ火山の噴火に始まり、伝説に名高い象の大群を引き連れたハンニバルのアルプス越え、邪教モロク神殿のいけにえ儀式、シラクサ攻撃ではアルキメデスが発明した太陽光大反射鏡によって炎上するローマ軍の大艦隊、というようにスケールの大きな見所がいっぱいという未曾有の大作でした。
それは、小説でもなく演劇でもない、また1巻もの15分の短編映画では絶対に味わうことのできない、長編映画ならではの面白さ楽しさを十二分に体験させてくれるものでした。
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●「カビリア」より抜粋
1.雪の山岳地でロケーションされたハンニバルのアルプス越えのりアル描写
2.巨大セット、モロク神殿におけるカビリアの救出劇
3.マッシニッサの宮殿における移動撮影の例
●長編が必要とした字幕。字幕が必要としたシナリオ
このように「カビリア」は、シチリアとカルタゴ、それにローマでの展開が加わるという舞台設定です。また登場人物も善悪入り混じり、複雑な陰謀も設定されているという入り組んだ物語です。そのためにところどころに説明を入れる必要が生じました。そこで考えられたのが「字幕」です。
●「カビリア」の字幕の一例 英語とイタリア語で書かれている
これは説明用のサブ・タイトル。台詞字幕はスポークン・タイトルと呼ばれた
字幕とは現在のように画面下に表示するスーパーとは違います。文字通り文字そのもので一画面を費やすもので、それを動画の間に挿入する方式が考えられました。つまり、俳優が口を動かしている途中で字幕に変わり、俳優の台詞が文字で示されます。観客がその文字を読み終えた頃、画面は先ほどの俳優が話し終わるところから続いていく、という手法です。観客は初めは奇異に思ったでしょうが、俳優が話す言葉はこのように字幕で示されるのだということが一般的になると、誰も違和感を覚えなくなったのです。
このように長編映画では、物語の説明や登場人物の台詞を字幕として表示するための台本、いわゆるシナリオという形が自然発生的に生まれてきたのでした。(字幕は無声映画特有の手法です。1927年、世界初とされる「ジャズ・シンガー」以後映画がトーキーに変わると不要になり、使われなくなります)
●はじめからカメラを回す撮り方の元祖は
パストローネはこの映画で20,000メートルのフィルムを撮影に費やし、そのうちの4,500メートルを使って4時間近い映画に仕上げました。
それまでの映画撮影では、D・W・グリフィスもリハーサルを何回か繰り返したあと本番だけカメラを回すという撮り方でしたが、「カビリア」以後は、何テイクか撮影を繰り返した中からOKショットを選んで編集するというパストローネの手法が定着していきます。
●舞台装置と照明技法の飛躍的進化
また「カビリア」では、舞台装置と照明技法が飛躍的な進化を遂げています。背景に絵を用いる手法は野外ロケが一般的になるに連れて実景に代わるのですが、セット撮影の背景ではまだ、建物外観や扉、壁などの凹凸を「だまし絵」で立体的に見せる手法が使われていました。
パストローネは徹底的にだまし絵を排除。建物は実際に実物大のセットを建て、飾り模様は石膏で凹凸をつけました。その代表的なものは宮殿と邪教の神殿です。また邪神のような立体感を強調した巨大な彫像や宮殿を飾る巨像も作りました。床には大理石の模様を描いた絵の上にガラス板が敷かれ、光の反射で本物の大理石に見えるように工夫されました。
●後のドイツ・アバンギャルド映画に影響を与えたといわれるモロクの大神殿
「カビリア」の随所に独創的な造形美を見ることができる
●マッシニッサの宮殿
だまし絵や書割ではない背景。本物の彫像。
ここでは建物の立体感を強調するために、蛇行による移動撮影が行われている。
(動画の最後参照)
●ガラスを敷いたミラーによる、大理石の床の効果
セットが巨大ですから照明も大規模になります。それまでの手法は役に立たず、大光量の人工照明を使った新しい照明技法が研究されました。大長編映画、巨大セットは、すべてにおいて前代未聞の技術を必要としたのです。
●上の3人のシルエットが手前に移動するに連れてライトが当たり、
壁面の象の彫刻と3人の表情が浮かび上がるという巧妙な照明テクニック
●これほど際立った光の演出は前代未聞
●炎上するローマ軍の大艦隊
このようにして誕生した「カビリア」は、母国イタリアはもとより、長編を渇望する世界の観客に大歓声で迎えられたのでした。
●隆盛直後。イタリア映画界が見舞われた悲劇
ところで、ここで大変な問題が持ち上がりました。この年1914年6月28日の白昼。ボスニアの首都サラエボで、オーストリアの皇太子夫妻が、セルビア人解放を掲げた秘密結社「黒い手」のテロ学生によって暗殺されてしまうのです。
それを機にオーストリアとハンガリーはセルビアに宣戦布告。この戦はあっという間にドイツ、ロシア、フランスを巻き込み、ヨーロッパの戦争から世界戦争へと広がってしまいます。第一次世界大戦です。アドリア海を挟んだイタリアも対岸の火事では済みません。
大戦は4年も続きます。折角隆盛を見たイタリア映画の全盛期はそれまでで、イタリア映画界はこの大戦のためにすっかり沈滞してしまうのです。
けれども「カビリア」は、その造形美が後のドイツ・アバンギャルド映画に影響を与えたばかりでなく、大作をもくろむアメリカのD・W・グリフィス監督に大きな啓示を与えたと思われるのです。
つづく
★添付の動画は本来は無声映画です。
音楽や効果音は、当時の公開状況を想定して後世に付けられたものです。
★当時の映画はモノクロですが、作品によってはフィルム染色法で情景を染め分ける方法がとられていました。