022 謎が謎呼ぶ、迷宮入り発明家失踪事件。 [写真を動かす試み]
022 謎が謎呼ぶ、迷宮入り発明家失踪事件。
オーギュスタン・ル・プランス
前回は、19世紀末に〈動く写真〉の実現に取り組んでいたたくさんの研究者の中から、今日特に評価されている欧米の3人の科学者について展望しました。ここではもう一人、オーギュスタン・ル・プランスを挙げておかなければなりません。
●映画発明者の栄光を目前にして、謎の失踪を遂げた オーギュスタン・ル・プランス
●フィルムの導入が〈動く写真〉の必須事項となっていた
オーギュスタン・ル・プランスは画家としての技量をもち、父親が写真家でジオラマ考案者でもあるダゲールの親友だったこともあってか、39歳でジオラマ興業に関係し、絵や写真を動かすことに興味を持ったようです。生まれはフランスですが、彼の活動拠点はイギリスのリーズです。
1880年のはじめにニューヨークで「ゾーアプラクシスコープ」を使ったエドワード・マイブリッジの講演にも接しましたが、マイブリッジの主目的はあくまでも「動きの分解」。〈動く写真〉によって「動きの再構築」を目指すル・プランスの参考にはなりませんでした。
●エドワード・マイブリッジ
彼が本格的に〈動く写真〉の発明に取り組んだのは、紙製のロールフィルムが誕生した1885(M18)年のことでした。それ以前の彼もやはり、ガラスやゼラチンの板を使う動画の仕組みの壁に突き当たっていました。
●ル・プランスも取り組んでいた立体写真動画
彼が1888(M21)年に特許を申請した「16レンズ式撮影機」は、明らかに湿版写真時代の複眼レンズカメラの応用ですが、彼の狙いは動く立体写真を目的にしていた節があります。それは縦8本のレンズに対応して2本の紙フィルムが運行する装置なのです。
つまり、右目と左目の両眼用のペアが4組ずつあり、左右交互に8組のペア動画を撮影するように考えられているのです。彼は息子のアドルフの手助けを得て研究を進め、アメリカの特許を取得します。
●16レンズ式撮影機 レンズは縦に8本ずつ2列になっている。
●単レンズ式撮影機
また彼は、並行して研究を進めていた、1本のレンズで連続撮影できる単レンズ方式の開発にも力を注ぎました。こちらは立体がねらいではなく、時間の経過を捉えるつもりでした。
単レンズ方式で〈動く写真〉の連続撮影を行うには、引っ張りに強い丈夫なベルト状のメディアが必須であり、正確な間欠運動の機構が絶対条件だということを知っていた彼が、苦心の末にその条件を満たす「単レンズ式撮影機」の開発に成功したのも、紙フィルムの登場によるところが大きかったのです。
●世界初となるはずだったル・プランスの〈動く写真〉上映
「単レンズ式撮影機」のテスト撮影は1888(M21)年10月に行われました。女性たちが踊る様子を写した「ラウンドヘイの庭」をはじめ「リーズ橋」を渡る馬車の様子、息子アドルフの「アコーデオン演奏」と、それぞれ10秒ほどの長さの3種類の連続写真が撮影されました。
結果はきわめて良好で、ル・プランスが考えているアメリカでの売り込みで話題をさらうデモンストレーションには十分な仕上がりでした。
●ル・プランス失踪後に発見された3種類のフィルム(それぞれ20コマずつ)
翌1890年9月。ニューヨークで世界初となるはずの〈動く写真〉の上映会を行うことになっていた彼は、その前に兄弟の住むディジョンに立ち寄り目的を告げた後、パリに戻るため家族に見送られて、発明品一式を携えて列車に乗り込みます。
ところがそれっきり彼は、セーヌ川右岸にあるリヨン駅で到着を待つ友人たちの前に姿を現すことはありませんでした。足どりは彼が列車に乗ったところからぷっつりと途絶えてしまったのです。
●謎が謎呼ぶ失踪事件
これまでに述べたように、1880年代末から90年代初めの欧米では、当初は紙製でしたが後にセルロイドのロールフィルムの登場によって、「動く写真」の開発競争が一挙にラストスパートを迎えます。<誰が映画発明者の栄冠を勝ち取るか>。そういった矢先に起こったオーギュスタン・ル・プランスの失踪事件は、世間に大きな疑惑の波を巻き起こしました。
フランス警察は直ちに捜索を開始し、ル・プランスの関係者は探偵を雇って彼を探させました。けれども荷物と書類も行方不明。消息はなおのこと、何の手がかりも見つけ出すことはできませんでした。
この事件はその後、1902年にル・プランスの特許に関する法廷に出席した息子のアドルフがカモ撃ちに出かけた後、銃に撃たれた死体となって発見されたり、2003年には1890年の証拠資料の中からル・プランスに似た溺死体の写真が発見されたりしているということです。その写真は事件当時、なぜ見つからなかったのでしょうか。
ル・プランスは研究を外に漏れないようにしていました。そしてその未亡人は、事件当時からライバルによる殺人を確信していました。19世紀末の特許戦争はそれほどすさまじいものだったようです。
とにかく確たる証拠は何もなく、未亡人もこの世を去りましたが、この事件は今日に至るも未だ迷宮入りのままなのです。けれどもその陰でささやかれたのは、「超」がつくほど有名な米国のある科学者の名前でした。
次回は、映画の発明に関して知らない人のないあの人、そう、トーマス・アルバ・エジソンに登場していただきましょう。
★ChinchikoPapaさんからのうれしいコメントを転記させていただきます。
「「昭和館」の旧シリーズも、たいへん面白くて毎回楽しく拝読していましたが、今回の新シリーズは映画史の予備知識がない方が読んでも、非常に楽しめるエピソードや物語が横溢していて、知らず知らずに映画というメディアへの興味を深められる、非常に優れたコンテンツだと思います。ぜひ、ネットにおける映画史のデファクトスタンダード・コンテンツとして永久保存していただきたいと思います。」
ちょっとほめ過ぎで面映いのですが、励みとさせていただきます。ありがとうございました。
by sig (2015-04-02 00:10)
ChinchikoPapaさんのコメント、決して褒め過ぎじゃないと思います。私も同様に感じております。
今回はまたミステリー仕立てで、ワクワクです。超有名な科学者・・・次回が楽しみです。(^_^ゞ
ル・プランスの動く写真、もう充分に動画、映画の域ですね!
by 路渡カッパ (2015-04-02 10:52)
路渡カッパさん、こんにちは。
ご声援ありがとうございます。とてもうれしいです。好きなこととはいえ、とんでもないことを始めてしまいましたが、なんとか頑張って続けたいと思います。
ル・プランスのフィルムはこの切れ端が3種類見つかっただけと言うことですが、ちゃんとした長さでニューヨークで上映されていたら、世界初になったのだそうです。ただ、彼のこのレベルの研究の影響力を考えると、それが即・映画の発明者と言えるかはまた別の問題とする見方もあるようです。
by sig (2015-04-02 16:50)
ご来訪、コメントありがとうご゛さいます。
またお遊びにぜひ。
by 夏炉冬扇 (2015-04-03 08:25)
夏炉冬扇さん、こんにちは。
今年もおいしい野菜がたくさん採れるといいですね。
by sig (2015-04-03 11:54)
古いものが残っているのがすごい。
今回の記事はミステリ調、謎ですね・・・
by green_blue_sky (2015-04-04 07:15)
green_blue_skyさん、
日本はどうしているのかわかりませんが、外国は特許申請された現物がよく保管されているようです。博物館でそれらを観ることができるのはうれしいですね。
by sig (2015-04-04 11:20)