055 「大列車強盗」をダメ出しする。 [黎明期の映画]
055 映画は映画館で、という時代の到来
「大列車強盗」-2
●時代背景 上/自動車時代到来「第7回パリ自動車ショー」1904.12
下/日露戦争 日本に向かうロシアのバルチック艦隊 1905.5
この記事は前回からの続きで、前回掲載の「採録シーン」の写真と関連します。その箇所には、同じ「シーン番号」を付けてありますので、対比してご覧ください。
●せっかくクロース・アップを撮っていながら…
1902年に「あるアメリカ消防夫の生活」を撮ったエディスン社のエドウィン・ポーター。彼はその際、「別の場所で同時に起きていることを、一つしかない画面でどう伝えればいいか」という表現上のテーマに迫ってみました。けれどもそれは成功したとはいえませんでした。
●エドウィン・S・ポーター
1903年のこの「大列車強盗」は、ポーターの人気を見込んだエディスン社の商業的観点から企画されたものかもしれませんが、強盗と保安官たちの追いつ追われつの状況がクライマックスですから、ポーターにとっては「別の場所との同時進行」への再挑戦となりました。
ところで、この映画の場合も主人公らしき人物は登場しません。悪漢のボスとチーフ保安官くらいはクロース・アップで対比したいところですが、ポーターはまだその使い方に気付いていないようです。
前回YOU-Tubeでこの映画をご覧になった方は、ラストが悪漢のクロース・アップで終わったことをご記憶と思います。ただ、それは映画のストーリーとは関係なく、あくまでも観客だましのサービスカットでしかありませんでした。せっかくあのようなクロース・アップ(正確にはバスト・ショット/胸から上の画面サイズ)を撮っておきながら、もう一歩踏み込めなかったものかと惜しまれます。
●ここでもいくつかのトライアルが
クロース・アップの使い方はともかく、この映画では次のテクニックが試みられています。ポーターが開発したというものではありませんが、これらの技術が映画の表現を広げたことは確かです。
◎マット合成 シーン①③
画面の一部に黒布や黒紙を張って未露光部分をつくり、あとでその部分に別の風景などを焼き込みます。ジョルジュ・メリエスの特撮ではふんだんに使われました。
この映画の①では通信室の窓越しに機関車が入構するところ。③では郵便車の外を走り去る風景が焼きこまれています。
①右の窓の外、列車の入構は合成 ③右の外の景色は合成
◎止め写し シーン④
機関車の上での悪漢と機関助手との格闘。機関助手を倒したところでカメラが止められ、助手が人形とすげ替えられて、機関車から放り投げられます。電柱の高さと森の形が変わるのでそれと分かります。
④左/人形にすげ替える直前のコマ 右/人形にすげ替えた直後のコマ
コマは連続しているが、右の電柱と左の森が異なっている
◎アクションつなぎ(カッティング・イン・アクション) シーン④~⑤
これは前のカットの動作を引き継いで次のカットを始めるという、かなり高度な編集テクニックです。この映画では大雑把ながらそれが使われていることは驚きです。
④の終わりで機関手が機関車から下りはじめ、⑤のはじめで、まず悪漢が降りたあと機関手が降りてくる、というところです。
④の最後のコマ ⑤の最初から少し進んだところのコマ
◎パノラミング(パン) シーン⑧⑨
この映画ではぎごちないながらも、機関車から降りた悪漢たちが沢を降りていくところと、川沿いに下手に移動するところで、彼らの動きに合わせてカメラが追うフォーロー・パンが行われています。ぎごちないのは、当時の三脚は固定画面(フィックス・ショット)が前提で、パンをするように設計されていないからだと分かります。
⑧カメラ、左へパン ⑨カメラ、左へパン
●この映画でフェードは使われたか
次にこの映画は、前作「アメリカ消防夫」よりもテンポアップしていることにお気付きのことと思います。それは前作ではほぼカットの変わり目ごとに使われていたフェード・アウト(F.O/溶暗)がまったく行われていない。つまり「カットつなぎ」で進行しているからだと分かります。
ところが画面の変わり目を詳細に検証すると必ずしもそうではなさそうなのです。最初のシーン①で悪漢二人が通信員を縛って逃げるところ、それからダンスパーティの場面⑪の最後が少し暗くなります。つまりこの作品も「アメリカ消防夫」同様、そこでフェード・アウトが行われていた形跡があると見ました。
●この二つのカットの最後がF.Oらしい
これは、あとで誰かがフェード・アウト部分をカットしてテンポアップを図ったものではないでしょうか。あとで気づいたポーター自身がそうしたか、後世になって誰かが手を加えたものか分かりませんが、映画的にはいちいちフェードを使わないで、カットを畳み込むようにつないでいく「カットつなぎ」の方が、どれほど緊迫感を盛り上げられるかという好例だと思います。
●再び、同時進行描写は成功したか
ところでこの作品でも、ポーターが目指した同時進行描写は成功したとは言えません。
それよりも彼が重視したのは、ラストのおどかしクロース・アップに見られるように、アメリカ的商業主義を優先させた観客サービスだったような気がします。
YOU-Tubeの動画を見ると、列車脇に並ばせた乗客から金品を奪う強盗一味⑥と、保安官たちのダンスシーン⑪がいたずらに長いと感じます。
●上の2つのシーンは、全体の中で不釣合いに長い
当時この2つのシーンでは、前後の緊張感を和らげるために、ピアノ、ヴァイオリン、ハーモニカ、タンバリンなどによる観客なじみの派手なウェスタン音楽が生演奏されたのではないでしょうか。特にダンスシーンでは、観客が画面に合わせて手拍子することまで計算して、あの長い時間が配分されていたのではないでしょうか。
そうでなければ、通信係が身を挺してとっくに緊急電報を打っているのに、それが届くのは延々と続いたダンスパーティの後半、ということはありえません。
同時進行描写を表現するには、まずダンス場面⑪の前半を見せておいて、次に口で緊急電信を打つ通信係⑩を挿入。そのあとにダンス場面⑪後半の、電報が届いたことを知らせる通信係、とつなげばこと足りる訳で、あれだけの長さのダンスを見せる必要はないわけです。こういうサービス精神が、いかにもアメリカ的だと思いませんか。
同時進行描写はのちにカット・バックと呼ばれる手法ですが、映画の後半、逃げる悪漢一味と追う保安官のカットを数回交互につなぐことで、もっと緊迫感を盛り上げることができたのでした。
●知らずに踊っているところへ…
●必死の打電
●さあ、ダンスはおしまい。出動だ!
●「映画は映画館で」という時代がやってきた
エドウィン・ポーターが作り上げた映画史上初の西部劇と称される「大列車強盗」は、ニューヨークの蝋人形館を皮切りに全米に公開されると、たちまち人気を呼び、瞬く間にアメリカ中に話題が広がりました。
この年あたりから、それまで興行師がフィルムそのものを購入して興行していたかたちから、レンタルという形がとられるようになりました。
今までよりも安く映画を上映できるようになったこと。「大列車強盗」のような面白い作品の登場。その相乗効果で、それまで場末の空地利用の活動写真小屋やペニー・アーケードと呼ばれる安上りの遊び場のアトラクション。せいぜいミュージック・ホールやボードヴィル劇場の添え物といった存在だった映画は、それだけで1本立ち興行ができるほどの動員力をもつようになりました。フランスのリュミエール兄弟がいち早く考え始めていた映画の専門館・・・映画館が成立する条件がようやく整ったのです。
●ペンシルヴェ二ア州に誕生した初めての映画館「ニッケル・オデオン」 1905
1905年の末になると、ペンシルヴェニア州に世界初の映画館が誕生します。この映画館は5セントコイン1個で楽しめることを売り物にして「ニッケル・オデオン」(オデオンとはギリシャ語で殿堂の意)の名でアピールを図りました。
ネーミングは堂々たるものですが、観客の多くは場末の住民や海外移民などの低所得者階層でした。とはいえ、彼らはワンコインで見られる身近な映画館の座席を満たし、その興隆を加速させていく原動力となります。そして「ニッケル・オデオン」の名称は、アメリカの映画館の代名詞として定着します。
つづく
★参考までに
映画を撮影することを「シュート」と言います。1回のシュートで撮影されたフィルムを「ショット」といい、「ショット」から編集で使用する部分を切り出したものが「カット」です。
マット合成には驚きました。
オプチカル技術がないので
フィルムを巻き戻して二重露光をしていたわけですよね。
高校時代、8ミリ映画を撮っていた時
撮影済みのカット尻を巻き戻し
次のカットを露出を開けながら撮影した
オーバーラップを思い出しました。
by cafelamama (2015-06-08 06:56)
私も窓越しの機関車が気になっていました。よく撮れたものだなと・・・そんなテクニックが使われていたのですね。
アメリカって面白い国ですよね、映画が発展したのも分かる気がします。インドの映画事情も面白いようですが、どちらも観客を楽しませるというのがキーワードのようですね。(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2015-06-08 12:07)
カットでトリックなど
アイデアがいっぱい産まれる時代ですね。
by 響 (2015-06-08 19:03)
caferamamaさん、路渡カッパさん、こんばんは。連名にしてすみません。
私はこの画面についてマット合成と書いた資料を見た訳ではなく、あくまでもルーペで見たりして点検した上で書いたのですが、あるいは勘違いかもしれません。
けれども通信室の窓の桟(さん・・・横と縦がある)が半透明で外景とWっていたり、郵便車のカットの最後ですが、開口部の上部に一瞬外景が横にWっているのです。合成でなければスクリーン・プロセスが考えられますが、この作品でそれが考えられたかどうかは不明です。
ジョルジュ・メリエスが1900年に「一人オーケストラ」のような7重トリックなどのすごいことをやっていますし、この作品も1巻50フィートを単位に撮影されたもの。窓のように単純な四角いマスキングですから、撮り終わったフィルムをもう一度装填して合成することは比較的簡単だったのでは、と考えています。でも、真実はどうだったのでしょうね。
私もW8の時から8ミリ映画で遊んでいましたが、シングル8になってもディゾルヴや合成がしたくて、巻き戻し可能なカメラを選んだものでした。
アメリカ映画やインド映画が楽しいのは、国民性かもしれませんね。私も映画は楽しいものが大好きです。
by sig (2015-06-08 23:22)
響さん、こんばんは。
映画が生まれる前の楽しみはステージでしたね。映画も初めは舞台の様子をそのままカメラ固定で写していたのですが、この頃のように映画ならではの表現に気づいた時、映画は俄然楽しくなってきましたね。それに輪をかけたのがトリックの発見ですね。それ以降、舞台と言う制約から自由を得た映画は、広い世界を写すようになり、世界中に受け入れられていくんですね。
by sig (2015-06-08 23:28)