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051 型にはまるな。枠からはみ出せ。 [黎明期の映画]

051 風景狙いに枠(フレーム)は邪魔。
   イギリス ブライトン派

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●19世紀末~20世紀初頭 ニューヨーク

カメラを移動中のカメラマン.jpg
●撮影機を移動させようとしているムービーカメラマン 1900年前後
 カメラが軽量になったせいか、三脚がかなり軽便になっている。



 1895年12月28日の
映画誕生から1901年に至る5年ほどの間、映画は、アメリカではエディスン社の「ブラック・マリア」のスタジオから、フランスではジョルジュ・メリエスのスター・フィルム社のスタジオから、その多くが生み出されていました。
 
カメラを固定し、セットの端から端までを額縁の中の絵画のように撮影していた時代はスタジオ撮影だけで済んでいたのですが、物語を作ろうという意識が芽生えると、先進的な人たちはその額縁が邪魔であることに気づきました。

1893 ブラック・マリア.JPGスター・フィルム社 スタジオ.jpg
●左/エジソン社のスタジオ「ブラック・マリア」1894
 右/メリエスのスター・フィルム社のスタジオ 1897

 

●寄れなくば 寄らせて撮ろう 大写し

 イギリスでは1899年に、後に「イギリス映画の父」と称されるロバート・ウィリアム・ポールが、ニュー・サウスゲートにスタジオを作って喜劇などの製作を始めていました。
そのいい意味でのライバルが、〈動く写真〉の開発に貢献したウィリアム・フリーズ・グリーンです。
 彼は英仏海峡に面した有名な海水浴場のある保養地ブライトンで映画の技術者を養成していたのですが、そこから輩出された人たちが、のちにブライトン派と呼ばれる流れを生み出します。その中にジェームズ・ウィリアムスンという薬剤師がおりました。

1899 ロバート・ポール.JPG
●ロバート・ポールのスタジオ 1899

ロバート・ポール.jpg フリーズ・グリーン.jpg ジェームス・ウィリアムスン.JPG
●ロバート・ポール             ●フリーズ・グリーン                          ●ジェームズ・ウィリアムスン                 

 ウィリアムスンの趣味は写真でしたが、1895年にリュミエール兄弟によって〈動く写真〉が確立すると、彼の関心は当然ことのように映画に移り、早速手にした映写機を撮影機に作り代えて、自分で映画を撮るようになりました。

 
最初は彼の映画もリュミエール兄弟やメリエスのフィルムの真似から始まりました。ウィリアムスンは、彼らが撮った舞台劇よりも、実写の方に興味を抱きました。彼にはセットを作って映画を作るほどのお金はありません。必然的にカメラを外に持ち出すことになりました。

 持ち出すといっても木箱製で重い三脚付きのカメラは、現在のコンパクトなビデオカメラのように自在に移動させることはできません。彼が1898
年に撮った「ビッグ・スワロー(大飲み)」は、何とカメラが人物に寄って行く代わりに、人物がカメラに向かって近寄ってくるという演出を考えたのです。実景の中で奥から手前に。この動きは舞台やセットでは出せない斬新な視覚効果をもたらしました。

 ●「ビッグ・スワロー(大飲み)」1898

 いきなり正面からムービーカメラを向けられた紳士。「失礼な。何のまねだ」とか言っているのでしょうか。大声で文句を言いながらカメラに向かって来ると、その口元が画面いっぱいになり、カメラマンをカメラ・三脚ともども丸呑みにしてしまうというブラックユーモアです。
 アップもアップ、ビッグ・クロースアップBCUと呼ばれる極端な大写し。こんな大口は誰も見たことがなかったので、みんなびっくり、口をあんぐり。

 初期のクロースアップについては、1900年の作品で「おばあさんの虫眼鏡」という作品がありました。これはまず、虫眼鏡を覗くおばあさんを下から見上げた感じのクロース・アップから始まります。その後はおばあさんの見た目で、虫眼鏡で覗いたように丸くマスキングされた画面に、彼女の身の回りにあるはさみとかペットのネコなどが大写しされるというものでした。

  この作品は、早くも翌年、同じタイトルで似たような内容で、直ちにパテ・フレール社によって剽窃されました。また1902年にはアメリカのバイオグラフ社が「おじいさんの虫眼鏡」のタイトルで製作しました。こういったやり口は20世紀に入っても相変わらず続いていたのです。

1900 おばあさんの虫眼鏡1.JPG 1900 おばあさんの虫眼鏡2.JPG
●「おばあさんの虫眼鏡」1900 のクロース・アップ

 とにかく、「映画は舞台を丸ごと撮影するもの」という考えにこだわらず、カメラを自由に実景の中に置き、見せたいものを大きく見せる手法をまず考え付いたのはイギリスの映画作家たちだったようです。
 文学でもなく演劇でもない映画特有の表現法、語り口を見出していく過程では、こんなことが大きな発見だったのです。


●セミ・ドキュメンタリーにセットは不要

 ウィリアムスンはこの年、もう1本の映画を撮っています。19世紀初頭は広範囲な植民地支配により、大英帝国が意気軒昂だった時代です。1898年に清朝政府の元で起きた義和団の乱のニュース映画を見た彼は、事件の様子が良く分かる再現フィルムを作ろうと思い立ちました。今で言うセミ・ドキュメンタリーです。

 自分の別荘を英国牧師の教会に見立て、メインキャストは家族を総動員して、1900年の末か1901年のはじめに「中国における伝道会襲撃」という5分の作品を仕上げました。
 蜂起した義和団が教会に侵入。暴徒から家族を守ろうとする勇敢な宣教師。奮戦空しく家族は暴徒の銃撃に倒れ伏す。そこに到着したイギリス海軍の兵士が義和団を銃撃し、暴徒は退却する、といった流れです。

 ●「中国における伝道会襲撃」1901 無音

 この映画は4つのシーンで構成されているという説がありますが、ここに添付した映像は1場面1カットの撮影手法です。ただこの場合はそれがかえって作為を感じさせず、実際に起こった事件の生々しさを伝えることに役立っています。

 この映画がメリエスの映画と決定的に違うところは画面のパースペクティブ(奥行き、遠近感)です。実景でしか描けない画面の手前から奥までの情景の深さ。それにより、例えばこの動画の後半、画面下手(向かって左)から続々と登場するイギリス軍兵士のように、登場人物の動きがいかに躍動的に描かれているかが分かるでしょう。ここにおいて映画は明らかに、メリエスが固持した舞台空間枠の呪縛から開放され、同じフレームの中に映画独自の広大なひろがりを見出したのでした。


●続かなかったユニオン・フラッグの心意気

 1900年にはまた、ロバート・ポールが「軍隊生活―または兵士はいかにして作られるか」という映画を作りました。これはイギリス軍における兵士の日常生活をアピールするために製作されたPR映画といえるものなのですが、当然ながら軍隊生活の描写はとてもリアルでした。
 このように、写実性、記録性に重きを置き、社会性を尊重したのがブライトン派の特徴といわれています。こうした映画の作り方は、イギリス映画がフランス映画やアメリカ映画とはひと味違う道を歩むことになる方向性を示唆したものでした。

 とはいえ、当時はメリエスのスター・フィルム社が世界を制覇し、パテ・フレール社、ゴーモン社が肉迫。アメリカではエディスン社が作品づくりにめきめきと力をつけてきていました。一方で台頭してきたライバルはイタリア映画です。これらの会社から作り出される映画のほとんどが娯楽作品でした。また、ドイツやスゥエーデンといった国々は社会性を反映させた作品を作り始めるなど、世界中で映画は事業として動き出していました。

 ブライトン派を中心とした真面目一辺倒のイギリス映画は、こうした世界動向の渦中にあって、観客の興味は徐々にアクの強い海外の娯楽作品に向けられるようになりました。
 ブライトン派によって、折角映画ならではの表現手法が見え始めたのに、娯楽性の希薄なイギリス映画は次第に衰微し、息を吹き返すのは第一次世界大戦をはさんだ後の約30年後。トーキー映画が登場するまでイギリス映画はあまり目立たない存在での推移を余儀なくされるのです。


※クロース・アップ
 
 一般にクローズアップと言われますが、クローズ(動詞/閉じる)ではなく、クロースもしくはクロウス(形容詞/近い)が正しい言い方です。
ビッグ・クロースアップ(BCU))は、例えば目の部分だけとかの極端な大写しをいいます。

セミ・ドキュメンタリー
 ドキュメンタリー手法を用いて現実の出来事をより効果的に脚色して作られた小説、演劇、映画など。ここでは映画。


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駅員3

先達の涙ぐましい努力と工夫には驚かされますね!
今ある映画を楽しめるのも、こういった方々のご努力の賜物!
by 駅員3 (2015-05-31 07:36) 

sig

駅員3さん、こんばんは。
本当に私たちはいい時代に生まれたものです。
その分私たちも、次の世代に同様に残してあげなけれはいけませんね。
by sig (2015-05-31 19:33) 

路渡カッパ

最初は写っているだけで驚いてくれた観衆。
でも観衆って飽き症ですからね、
映像自体の演出も必要になって来たのでしょうね。
工夫、発展は“歩み”だからいいけれど、この時代に現在のCG映像など見せても何のことか分からずウケなかったかもって考えます。(^_^ゞ

クローズ、確かに閉じるって意味に・・・表現にはクローすますなぁ(笑)
by 路渡カッパ (2015-06-01 11:12) 

sig

路渡カッパさん、こんにちは。
これは私の持論なんですが、写真が生まれた時から人はすぐに立体写真を考え出したのですから、最初から等身大の動いて話す立体人間、つまり人のコピーをイメージしていたと思うのです。ただ、時代の技術がその段階ではなかった。
その視点で見ると、現在の3DCGを昔の人が見たら、「これなんですよ、私たちが考えていたのは」と言うのではないかと思います。それがこのブログの骨格なのですが、そう確信しているのですよ。
とにかくこのブログを書くのにはクローしています。カッパさんの苦労と合わせて、このお話はクローズ(苦労の複数形)といきましょうか。
by sig (2015-06-01 15:39) 

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