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038 「映画」の未来は見えたか? [草創期の映画]

038  「映画」の未来は見えたか?


      ノンフィクションとフィクション-1

モンマルトル「ムーラン・ルージュ」.JPG
●19世紀末パリ、モンマルトル ムーラン・ルージュ〈写真右〉



1895M28)年1228日、リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」初公開によって「映画」は誕生したとされているのですが、実は<動く写真>の研究者や発明した本人たちも、「映画」が進む方向性をはっきりと認識していた訳ではなかったらしいのです。それほど「映画」というメディアは画期的な発明だったのです。(インターネットもある意味ではそんな感じでしたね)


とはいえ「映画」は動き出しました。機械の発明レースが終わって、さあ、今度はそれをどう使うか。フランスではリュミエール兄弟が、ジョルジュ・メリエスが。アメリカではトーマス・エディスンが、それぞれの思惑で行動を起こしました。


●ノンフィクションに向かったリュミエール兄弟。


 リュミエール兄弟が「シネマトグラフ」で目指したものは、<生命を記録し、自然をありのままに捉えること>でした。シネマという言葉もラテン語の<動き>からとったものでした。リュミエール兄弟は、現在自分たちが存在している時代というものに目を向けました。時あたかも19世紀のどんづまり。あと5年で新世紀です。

 それまでの歴史は紙に書かれたものでした。
 <自分たちの「シネマトグラフ」は、その世紀の変わり目を写し止めることが出来るのではないか>。
 「シネマトグラフ」なら、その当時の「現代」の様子を動く写真で記録できます。その動く写真は時間とともに過去の歴史になります。リュミエール兄弟の照準は、"19世紀末の動く世界史"をまとめ上げることに向けられました。

 これは、現在の姿をとどめておいて、あとで時間を遡ってそれを見る、という目的が明確です。「シネマトグラフ」が初公開された1895年は、イギリスの小説家、H・G・ウェルズのSF小説「タイムマシン」が発表された年でもあります。
 リュミエール兄弟がそれを意識していたかどうかに関係なく、「映画」はこのあと表現技法が次々と開発されていくに従って、時空間を自在に飛翔するメディアに育っていきます。このSF小説と映画という新技術が同時期に生まれたという符合は偶然とは思えず、映画の未来を予見するもののように感じるのです。



LUMIERE.jpg 1895 シネマトグラフ レプリカ 2.JPG
1895 シネマト ポスター2.JPG 
●リュミエール兄弟と「シネマトグラフ」

 リュミエール兄弟は「シネマトグラフ」初公開が一段落すると、その年の内に20人の技師を募集。1896(M29)年の年明け早々から、早速養成を始めました。「シネマトグラフ」は撮影機と映写機の兼用ですから単なるカメラマンの養成ではありません。撮影の操作とフィルム現像のやり方を習熟してもらわなければなりません。また記録性重視ですから、あくまでも一定スピードで自然の状態をそのまま撮る、映す。これが原則です。そのための訓練も行われました。

   また、世界の主要都市に配置するために200台もの「シネマトグラフ」の製造を開始しました。これは20人の技師に携行させるほか、世界各国の興行会社に配置するためでした。リュミエール兄弟のやり方はエディスンのように機械そのものを売るのではなく、興行代理人を立て、各国の興行を代行させて利益を配分するやり方でした。


 



●わずか1年で世界を制覇した「シネマトグラフ」。


こうして春から「シネマトグラフ世界紀行」取材班の活動が始まりました。まずイギリスを皮切りにイタリア、ドイツ、スイス、アメリカと進められ、初夏までには日本、オーストラリア、メキシコ、インドにまで達しました。また興行も、エジプト、トルコ、ポルトガル、デンマーク、ノルウェーにまで及びました。

1895リュミエールの撮影b.JPG I稲畑.gif
●リュミエール社のカメラマン           ●コンスタン・ジレルが撮影した稲畑家団らんの様子


「シネマトグラフ」の技師たちは、訪問先の国々でその地方独特の風景や風習を写しとめました。そして撮影したフィルムはすぐに現像して、現地の人たちに上映して見せました。人々は住んでいる自分たちの村の様子や写された〈分身〉がスクリーン上で動くのを見てビックリ。話題はどんどん広がり、リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」は爆発的な勢いで、わずか1年くらいの間に一挙に世界中に波及することになったのでした。結果的に国際的PR活動の効果をもたらしたわけです。

  この世界行脚による撮影記録は、50フィート(約17メートル)のフィルム358本に及ぶ成果を挙げました。これらの動く写真記録は、今日、言葉通りのタイムカプセルとして、当時をしのぶ貴重な文化遺産となっています。



   記録されたフィルムの中には、
ヴェルサイユ行きの汽車の窓から撮影した風景。走る列車の昇降口から見るナイル川。昇降するエッフェル塔のエレベーター。トンネルに入っていく機関車の様子、などがあります。カメラ自体はあくまでも固定でありながら、早くもパノラマ撮影(パノラミング)、移動撮影(トラベリング)が試みられていたのです。
 リュミエール兄弟の目指した記録としての映画の利用法は、今日、「記録映画」と呼ぶ映像の基本ジャンルとして確立しています。




●トリック撮影の芽生えも早かった。


 〈動く写真〉に消極的だったエディスンが、周りに遅れをとったと悟ってからの行動は素早く、直ちに「ヴァイタスコープ」を開発して初公開に臨んだ(前回の記事参照)のですが、上映するフィルムはとりあえず「キネトスコープ」用に作られた1分足らずのフィルムを10数本上映して見せたにすぎませんでした。


 「ブラックマリア」と称される撮影スタジオまで持ちながら、その後もしばらくの間エディスンは「ヴァイタスコープ」用の長尺映画の製作には手を付けませんでした。エディスンは「映画」というニューメディアの商業的価値を読み切れず、映画は単なる見世物と考えていたようです。

4 edison 13.jpg  1896 ヴァイタスコープ.jpeg
●トーマス・エジソンの「ヴァイタスコープ」1896




   事実、エディスンの映画は、1分足らずのフィルムを数本続けて、ボードヴィルの幕間や終わりに上映されていました。そこでは舞台下のオーケストラボックスにピアノを設置して、即興の音楽が付けられていました。映し出されるものは相変わらずで、自然の風景、ダンス、アクロバットなど。
 エディスンは、これでは「キネトスコープ」の二の舞になっていつか飽きられてしまう、という懸念は持っていましたが、それ程危機を感じていたわけではないようです。彼が困ると、いつも周りの誰かがうまく取り計らってくれたからでしょう。



   そうした中で評判を呼んだフィルムがありました。「スコットランド女王メアリの処刑(1895)」。これは妹のエリザベス1世から死の宣告を受けたBloody Maryの処刑という歴史上の情景を再現したものです。
  


 ご覧になってお分かりの通り、ここでは止め写しという手法が使われています。つまり、役人が斧を振り上げたところでカメラを止め、役者はそのままのポーズでいる間に女性を人形にすげ替えて撮影を続行するというものです。これはフィルムを切ってつないだ訳ではないので編集ではありません。編集の概念はもっと後の話になります。これはもっとも単純なトリックですが、この頃すでにこうしたトリックが発見されていたということは注目に値します。現在それを分かっている私たちが見ても、実に巧妙に撮影されていると思います。

 こうした歴史上の事件の再現フィルムは、エディスン社に限らず、リュミエール兄弟もパテ社もゴーモン社も例外なく作品ジャンルの1群に加えていきます。まだ、監督もスターも生まれていない時代。歴史への興味が人気を呼んだからですが、その魅力は、映画と言うメディアが、イミテーションでありながら過去の時間と空間を自在に現在に甦らせてくれるからに他なりません。


エディスン社の「ヴァイタスコープ」も、「シネマトグラフ」のすぐ後を追って世界に広まっていきました。



50フィート、上映時間1分の映画からの脱却。


さて、フィルムが50フィートで1分程度のものしか作れないということに疑問を感じる段階が、リュミエールの側にもエディスンの側にも間もなくやってきます。双方ともネタが尽きてくると、必然的にストーリーのあるものを作りたいと考えるようになりました。ここで初めて50フィートの2倍、3倍・・・という長尺物に考えが及び始めました。

 映画フィルムの大手メーカーに成長したイーストマン・コダック社は1889年にすでに200フィートのフィルムを開発していましたし、もともと写真業であるリュミエール社も自社で長尺フィルムを作れる環境を擁していました。
   


当時、映画はまだ撮影技師がカメラを回せば作れるレベルでしたが、長尺物ではそうは行きません。そこで対象となったのは舞台でした。舞台の出し物をステージの前にカメラを固定してそのまま撮影するのです。最初の頃の長編映画はそんなところから始まりました。撮影の現場では撮影技師(カメラマン)が必要な指示を出していました。監督と言う職業はまだ生まれていません。

最後の晩餐.JPG
●リュミエール社のキリスト受難劇 1897

 長尺フィルム自給の環境が整うと、ノンフィクションを主力にしていたリュミエール社も、「イエス・キリストの生涯と受難」(1897)に代表されるフィクション映画にも着手します。これは当時舞台で演じられていたパントマイムによる「活人画」の趣向を野外劇に仕立てて、それをそのまま撮り続けたものですが、これは13の場面で800フィート(約250m)にもおよぶ大作でした。パントマイムには音楽が付いていましたから、この映画も音楽の演奏付きで上映されたと思われます。

 また、当時のニュースや有名になった事件、あるいは歴史など、物見高い人々が実際に見てみたいという願望を満たす再現フィルムも多数作られました。再現フィルムは役者が演じたので、極めて演劇的でした。つまりノンフィクションに似せたフィクションです。
 映画はこのように、まずは演劇を真似て物語を語ることに利用され始めたのでした。

●「ロベスピエールの死」1897 47秒



●フィクションに向かったエディスン社。


「発明」という技術開発を終え、今や「創造」という表現の段階に入った映画。その中でエディスンの立場は、映画を事業として成功させるというプロデューサー的役回りに変わりました。彼はそれまでに力を入れて来た鉄鉱石選別の機械化事業が思うような利益を上げていないこともあり、「キネトスコープ」以来新しく手掛けた〈動く写真〉、つまり「映画」をエディスン社の事業のメインに置く必要を感じ始めていました。

 エディスンの考える映画事業の第一歩は、それまでに進めて来た映画用カメラと映写機に関する特許商法と、「キネトスコープ」のために作ったフィルムの権利を確立することでした。そのために、法律関係を任せてあるリチャード・ダイヤーとフランク・ダイヤー兄弟の「ダイヤー&ダイヤー社」弁護士軍団にはこれまで以上に張り切ってもらわなければなりません。そして大事なことは、大衆層からセレブリティまで、人々が喜ぶ面白い映画を作ることでした。
  


エディスンは元来通信技師から身を起こした人ですから、どちらかといえば工学系。その彼にとって非常に幸運だったことは、20世紀を迎えた直後から、フィルムメーキングに特別な才能をもつクリエーターたちと出会うことができたことでした。
 彼らは生まれて間もない映画を、それまでになかった新しい表現媒体として捉え、活用しようと考えます。撮影機を窮屈なスタジオから野外に持ち出し、緊迫感あふれる物語をつむぎ始めます。それは記録ではなくアクションだったいうところが、いかにもアメリカらしいと思うのです。  
                            つづく 

★次回はフィクションの極み、トリックの天才ジョルジュ・メリエスです。



デル株式会社Oisix(おいしっくす)/Okasix(おかしっくす)








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うさ

映画の歴史的なことを知ると、動画を撮影する時、編集する時のヒントが隠されているような気がしますね^^ あ、編集ではない首切りは「知恵」なんでしょうか…(笑)。自分が生かせるかどうかは別ですが…^^; 何度か読ませていただいていると記憶にも刻まれていくようです♪
by うさ (2015-05-05 00:38) 

sig

うささん、こんばんは。
増補版にようこそ。かなり大きく書き直したり追加したりしています。
この処刑の止め写しは当時としてはとんでもない着想だったと思います。
その意味で「知恵」と言えるのでは。
うささんのブログへは、化粧品が二種、三種と増えていくとかの見せ方として応用できそうですね。カット変りにすればテキパキとした感じに。カット変わりをディゾルヴ(前のカットと次のカットをWらせながら次のカットへ移行)させれば柔らかい感じに。
by sig (2015-05-05 01:41) 

SORI

sigさん おはようございます。
映画の発達は驚くばかりです。私が子供の時に親父が8mmカメラで家族を撮ってくれたのを思い出しました。映写機で何度も見た記憶があります。
by SORI (2015-05-05 05:49) 

sig

SORIさん、こんにちは。
みなさんの様子が8mmで残されているとはすばらしいですね。どうぞ大切になさってください。
私はいちばん古い形式のW8のフィルムは劣化で全滅。スーパー8、シングル8はまだ大丈夫ですが、今のうちにデジタル化しなくちゃと思いながら、やってません。
by sig (2015-05-05 09:53) 

路渡カッパ

こんにちは。
ちょっとネットから離れている間に、随分話が進んでますね!
じっくり読みたいので、また後ほど・・・(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2015-05-05 11:16) 

sig

路渡カッパさん、こんちは。
わざわざどうも。GWは年に1度ですから、しっかり休んでくださいね。
by sig (2015-05-05 16:14) 

路渡カッパ

じっくり読ませていただきました。(^_^ゞ
ビッグビジネスにつながるってこともあり、人間関係がドラマチックで面白いですね!
TVドラマにしても高視聴率間違いなさそうです。
ヒール役はエディスンになるのかな、誰か土下座する役割も要りますかね。
裏事情はともかく、エディスンのカリスマ性は凄かったようにも思えます。
色んな捉え方もできるこのレポートは今更ながら素晴らしいと感じました。
by 路渡カッパ (2015-05-06 00:26) 

green_blue_sky

これからどう変わるのでしょうね。
GW、4日までは強制的に出かけていろいろと撮影していました。
中名k出かけられないときが多いので(^▽^;)
久々の飛行機撮影、楽しかったです。
by green_blue_sky (2015-05-06 07:09) 

響

スマホで動画が撮れる時代ですが
先祖の努力は凄いですね。
なにもかも新鮮だった時代を体験してみたいです。
by (2015-05-06 16:18) 

sig

路渡カッパさん、こんiにちは。再度ありがとうございます。
こと映画の開発に関してはエディスンは微妙ですね。けれど、企業ですから利潤追求が第一で、自分の権利を侵されないように厳しく当たるのは当然のことですから、悪役という訳ではないのです。が、手下のやり方にイジワルさを感じます。でも、別方向から見ると、例えば今回のように、エディスン社がフィルムを売ってくれないので、フランス、イギリスでは見よう見まねで自分で作るようになり、広い目で観ると映画の振興に役立っているわけですね。これから書くことになる監督と言う新しい職業人がエディスン社が多数輩出されることもあったりして、エディスン氏はなかなか役に立っているのですよ。笑
by sig (2015-05-06 17:44) 

sig

green_blue_skyさん、こんにちは。
GW前半でブログネタがたくさんできたようですね。10日まではミケちゃん、ミッキーちゃんと遊んであげてください。
by sig (2015-05-06 17:47) 

sig

響さん、こんにちは。
本当に、映画に限らず、私たちが当たり前で過ごしていることが、いかに先人たちの労苦の上に成り立っているかと言うことを感じます。
おっしゃる通り、タイムマシンで19世紀に降り立って、20.21世紀の基盤が作られていく現場に立ち会ってみたいものです。感動的でしょうね。
by sig (2015-05-06 17:53) 

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