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036 リベンジは、「パラパラ漫画」で [映画の誕生]

036   リベンジは、「パラパラ漫画」で。


      「ミュートスコープ」 「ファントスコープ」

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●19世紀末美人
 
 


 1895(M28)年12月28日。のちに映画誕生とされるこの日をはさんで、アメリカではトーマス・エディスンとウィリアム・ディクスンとの確執が続いておりました。毎回いろいろな年月、人物、機械名が登場しますが、私自身も混乱しないように必死です。W

●ディクスン、レイサムの元を離れる 


レイサム父子にウィリアム・ディクスンが協力して生み出した「パントプティコン」。この新式映写機は、トーマス・エディスンから特許侵害と訴えられました。


これは明らかに威嚇である。そう受け止めたウッドヴイル・レイサムは、直ちにエディスンに対する書簡のかたちで、新聞紙上で反論しました。



 「私のパントプティコンは映写式だが、エディスンのキネトスコープは覗き見式で映写は出来ない。また、こちらは1,000フィートのフィルムを使えるが、そちらはそれも出来ない。何をもって特許侵害といえるのか」

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●ウッドヴィル・レイサム           ●ウィリアム・ディクスン            



   エディスン側では「パントプティコン」のフィルム駆動にスプロケットとパーフォレーションが使われているだけでも特許侵害を主張できると踏んでいました。このような場合、いつもは直ちに強制執行の役人(執行吏)を差し向けていたのですが、営業部長ウィリアム・ギルモアは、近々公開されそうな「パントプティコン」の評判を見守った後でも遅くはないと判断し、成り行きを見守ることにしました。

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●レイサムの「パントプティコン」上映風景 1895

   「パントプティコン」は1895年5月、ニューヨーク、ブロードウェイの劇場で初公開されました。お得意のボクシングの試合が食卓テーブルの面に上映されたそうですが、芝居の中でテーブルを倒し、そのクロスにでも上映する趣向だったのでしょうか。画面が小さく、試合自体も平凡でエキサイティングなシーンがなかったため、レイサム父子の期待に反して大きな話題を呼ぶことが出来ませんでした。

 それが直接の原因ではありませんが、間もなくディクスンとレイサムの関係は醒め、6月、ディクスンは出資金を引き上げてレイサムの会社を離れます。レイサム父子はその後も映写機の開発を続けますが、大きな成果は得られませんでした。
 エディスン側は上映式「パントプティコン」の不評に胸をなでおろしましたが、それは一時しのぎで、自社の映写機開発につながるものではありません。



●ライバルの台頭とエディスンの内憂外患


「キネトスコープ」は海外の特許をとらなかったばかりに、特にイギリスではその亜流が数多く生まれ、本家本元の利益を脅かしています。エディスンは「機械を買わなければフィルムは売らない」ことにしたのですが、そんなことでは生易しいと考えたギルモアは、ヨーロッパに人を派遣して、それまでに輸出したエディスンのフィルムを全部買い占めるように指示しました。ヨーロッパの興行師たちは、「キネトスコープ・パーラー」は開いていても、商売が出来なくなりました。これは業界にとってもショッキングな出来事でした。
   ところが、上映するフィルムが無くなったヨーロッパでは、かえってそのことが撮影機と映写機の開発を促進させ、独自の映画づくりにつながっていくのです。

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●ロバート・ポール        ●シャルル・パテ

 イギリスではロバート・ポールがすぐに撮影機の開発を始めました。エディスン社からフィルムの供給が断たれれば、自分でフィルムを作るしかないと考えからです。彼はエディスンの特許に触れないように細心の注意を払って作り上げた小型軽量の撮影機で、ロンドンや近郊の名所など、いろいろなフィルムを撮り始めます。その上、「バイオスコープ」という映写機まで作り上げてしまいます。
   彼の作品上映は1896年2月から始まりました。ロンドン技術学校、王室教会図書館で公開したあと、オリンピア劇場、アルハンブラ劇場へと発展しますが、ボードビリアンによる解説付きの「ドーバーの荒波」が特に人気を呼びました。
 彼はその後、当時50フィート約1分という制約があったフィルムを2本つないで、ストーリー性のある作品を作るようになります。
  
 フランスでは、シャルル・パテが、エディスンの政策の矢面に立たされました。彼はエディスンの「フォノグラフ」とロバート・ポールが作った亜流の「キネトスコープ」を販売していたのですが、販路はすでに南アメリカやニュージーランドにまで広がっていたのです。そのフィルムを供給できないとなれば完全にお手上げです。そこでパテも、本腰を入れて自分で映画製作を行おうと決心します。
 たまたま母が亡くなったことを機に、シャルル・パテは1896年、兄弟の遺産を出資金として資本金40,000フランの「パテ・フレール社」を設立。グラン・プールヴァルの一角に開業することになります。   

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●トーマス・エジソン(左)と彼の右腕ウィリアム・ギルモア(右)

 とにかく、エディスンの取り巻きが配下を動かして行った陰の動きは、この後もその前も枚挙にいとまがありません。エディスンが名実ともに発明王、偉人として後世の人々に称えられるには、自身の名を損ねる社内のこういった動きこそ「内憂」と気づき、処断すべきだったでしょう。ところが実際は、ギルモアのように自信過剰で声が大きく、それなりの実績を上げてさえいれば、優柔不断な経営者にとっては切れ者・有用な人物として映り、頼もしく感じてなんでも任せてしまうのでしょうね。

●ディクスンのリベンジは「パラパラ漫画」


 さて、出資金を回収してレイサムの元を離れたウィリアム・ディクスンは、新しい事業にそれを注ぎ込みました。デビュー当時より下火になったとはいえ一人勝ちしている「キネトスコープ」に一矢報いようと、エディスンのライバル会社を起こそうとしていた人たちと手を組んだのです。

   ニューヨーク保証信用会社から20万ドルもの融資を受けて発足したその会社の名はアメリカン・ミュートスコープ・カンパニー(AMC)。エディスンの資力に勝るとも劣らないこの会社は、早速「ミュートスコープ」と「バイオスコープ(撮影機)」「バイオグラフ(映写機)」の製造を開始して「キネトスコープ」を追い上げました。

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●「ミュート・スコープ」卓上型                     ●「ミュートスコープパーラー」用スタンド型

 「ミュートスコープ」はエディスン社の「キネトスコープ」同様、覗き見式でした。写真もエンドレスの繰り返しです。けれども、「キネトスコープ」以上のものでなければ新たに登場するはずはありません。AMCの狙い通り、時代に逆行するように思われるその覗き見式がクリーンヒットを飛ばすのです。それほどエディスンの「キネトスコープ」の特許に触れないように考えられた「ミュートスコープ」は魅力的だったのです。

 発想はパラパラ漫画。「ミュートスコープ」は、撮影された連続写真の1コマ1コマを厚紙に焼き付けて回転軸に束ねたものを、手回しハンドルで回しながら見る仕組みですが、「キネトスコープ」に比べて画面が大きい。写真が鮮明。ガタツキが無い。照明や動力用蓄電池不要。堅牢。そして何よりもソフトの質。それと「キネトスコープ」よりも長く楽しめること。初期の撮影はディクスンが担当したのですが、ロケによる当時の躍動的な街頭風景が、エディスンの「ブラック・マリア」1の密閉されたスタジオの中で、未熟な演技指導のもとに撮影されたものより格段に生き生きとしていたのです。

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●パーラー用「ミュート・スコープ」 右のエジソンの「キネトスコープ」よりも洗練されたデザインが評判を呼んだ


 「ミュートスコープ」 無音 66秒
だれもが教科書の隅に書いた覚えがあるパラパラ漫画より、はるかに高尚な「ミュートスコープ」。
後半には自動車が登場するところを見ると、1910年代まで興行が行われていたとみることができる。  

 「ミュートスコープ」は1895(M28)年10月に発売されるや否や、それまでの「キネトスコープ」に飽きたペニー・アーケード2からの注文が殺到。たちまちのうちに「キネトスコープパーラー」は「ミュートスコープ・パーラー」に模様替えというありさま。
 実際に「キネトスコープパーラー」は次々と閉鎖に追い込まれ、新聞記者の間ではラフとギャモンの「キネトスコープ社」の破産は時間の問題といううわさまで立つようになりました。万事窮した総元締めのエディスンですが、妙案はなかなか浮かんできません。


●「ファントスコープ」という新展開


「ミュートスコープ」がニューヨークに出回り始めたちょうどその頃、10月のある日。エディスン直系の代理店「キネトスコープ社」(ラフ&ギャモン商会)のチャールズ・ラフとフランク・ギャモンのところに、トーマス・アーマットと名乗る若い男性が訪れました。彼が携えていたのは、何と1台の映写機でした。
 


「ワシントンのキネトスコープパーラーで見たのですが、そのとき以来、箱の中ではなくて何とか動く写真を映写できたら、と考えて友人のチャールズ・ジェンキンスと二人で作ったのがこの機械です。こちらがキネトスコープの元締めと聞いて持参しました。見て頂けませんか」。

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    機械の名称は「ファントスコープ」。聞けばその機械は、エディスン社の「キネトスコープ」用35ミリフィルムをそのまま使って上映できる映写機だというのです。

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●共同開発者のトーマス・アーマット(左)とチャールズ・ジェンキンス(右) 



    アーマットとジェンキンスの二人が出会ったのは1894(M27)年秋。同じ電気関係の学校で、お互いに映写機の研究をしていることで話が合いました。すでにジェンキンスは映写機の製作に着手していたのですが、資金的に乏しかったので、アーマットが5,000ドルほど支援して、共同で開発しようということになりました。

  二人はフィルムの間欠送りといういちばんの難関を歯車を使った独自の仕組みで突破。連名で特許を申請すると、この年(1895)の夏、アトランタで開催された「連邦綿花博覧会」で見世物小屋を借り、有料公開に臨みました。ところが、真っ暗な会場をこわごわ覗いた農民たちはスリを恐れて入りたがらず、興行は失敗に終わってしまいました。



 その後二人はいったん別れて、ジェンキンスは以前から取り組んでいる独自の映写機の開発を続けました。アーマットも研究を続けていましたが、やはりお金がかかります。ジェンキンスに貸してある5,000ドルのことも気になります。思案を続けたのちアーマットは、もしや自分の持つ特許が売れるかもしれない、そう思ってラフとギャモンを訪ねてみたのでした。


●さて、ラフとギャモンの胸中は……


ラフとギャモンはもしかしてイカサマかもしれないと思いました。こんな若造に最先端の映写機が作れるなんて。とにかく見てみよう、ということで急きょ別室で上映してみることになりました。
 ところが開けてびっくり。この若者が持ち込んだ映写機は、「キネトスコープ」のフィルムを滑らかに淀みなく、壁面に大きく見事に映し出したのでした。

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●のちに35ミリ長尺フィルムの使用を可能にした
「ファントスコープ」1896



    アーマットの登場はラフとギャモンにとってはまさに渡りに船。いくらエディスンをせっついてもらちが明かなかった映写機が、突然転がり込んできたのです。飛んで火に入る夏の虫。(季節は10月でしたが)

 しかし内心の動揺をそのまま顔に出すような両人ではありません。海千山千の二人の頭に申し合わせたように、とっさにある考えが閃きました。
 二人はあくまでも平静を装って二三の改良点を指摘すると、「来年明けまでにやれますか? あと2か月ほどありますが。それまでにこちらも検討しておきましょう」、ということでアーマットを返したのでした。


リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」初公開は、まさにその年の暮れの28日でした。 
                                                    つづく



★1 「ブラック・マリア」
            http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-16         
              
★2 ペニー・アーケード


      貨幣の最小単位である1ペニー硬貨1枚で遊べる器具を揃えた遊び場のこと。

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SILENT

50年位の前の中学生のとき、美術の授業で、パラパラ漫画を造るという授業がありました。雪が降るシーンを自分は作った事を思い出しました。映像の歴史、奥が深いですね。関心いたします。
数年前テレビに宮崎駿さんがパラパラ漫画であるカットを具体化する場面があって懐かしく感じました。
by SILENT (2015-05-01 05:07) 

sig

SILENTさん、こんばんは。
女の子は知りませんが、男の子はまず例外なく小学生の頃、教科書にパラパラ漫画を描きますね。私は絵が苦手でしたが、それでも全部の教科書に棒人形を描いていました。それが昂じたのが、今の自分です。どこかで別の道に曲がる分岐点があったのに、気づかずにそのまま進み続けたような気がします。映画は観るのも作るのも好きですが、人はなぜ映画を考え出したのだろうというテーマも、私にとっては大事なのです。
by sig (2015-05-01 20:36) 

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