035 余裕は「たるみ」から生まれる。ん? [映画の誕生]
035 長尺を可能にしたフィルムの「たるみ」。
フィルムループの発見
●釣りの場合も、たるみがあるから糸が切れない。
20世紀の到来を目前に控えた1895年(M28)の末。リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」初公開をもって「映画誕生」とされたのはあくまでもあとのこと。そこで「めでたしめでたし」と完結したのではなく、欧米では相変わらず20名を越える科学者の熾烈な競争はそのまま続いておりました。
ところで、エディスンと袂を分かったウィリアム・ディクスンのその後は……。話は8ヶ月ほど前に遡ります。つまり「映画誕生」を挟んだその前後のエピソードです。
●ディクスンはレイサム父子と<上映式>を開発
フランスのリュミエール兄弟が「シネマトグラフ」初公開を行うことになる1895(M28)年の春4月。アメリカでは、エジソンの「キネトスコープパーラー」を経営するウッドヴィル・レイサムが、のちに映画が物語を語るに欠かせない、ある重要な発見を成し遂げました。それを手伝ったのは、ウェスト・オレンジのエディスン研究所に在籍していたウィリアム・ディクスンでした。
●ウッドヴィル・レイサム ●ウィリアム・ディクスン
研究所の実験室長だったディクスンがエディスンの元を去った直接の原因。それは、在籍中に取引先のレイサムと極秘に会っているディクスンの情報を、逐一エディスンに報告していた営業部長ウィリアム・ギルモアとの確執でした。
ギルモアはエディスンに営業手腕を買われて1年前にその席に就任したばかりでしたが、ディクスンとは初めから馬が合わなかったようです。たまたま二人ともウィリアム。「何であんな奴が・・・」とお互いが自分の名を呪うようになって、それがかえってまずかった。
●ウィリアム・ギルモア
ディクスンはエディスンに、「8年間、会社とあなたに尽くした私か、それともたった1年のギルモアか」どちらか選べ、と迫ったのですが、話はこじれるばかり。結局、自分の方から身を引かざるを得なかったという苦々しい思いが後を引いていました。
ディクスンはレイサムの会社で、彼の兄弟たちといっしょに、エディスンにやらせてもらえなかった「映写機」の開発を、こっそりと注意しながら続けていました。
●エジソンの特許に触れないように新方式を考案
レイサム父子は、自分たちの経営するニューヨーク・ナッソー通りの「キネトスコープパーラー」で、1ラウンドずつしか見られない<覗き見式>のボクシングを、大きなスクリーンで、しかも6ラウンドを一挙に見せることができれば大評判は必至と考え、独自に映写機の開発を進めていました。
●「キネトスコープパーラー」と人気のボクシング
その場合、「キネトスコープ」を<上映式>に改造することはエディスンの特許があるために出来ません。ただ、「キネトスコープ」を実際に開発したのはディクスンでしたから、彼は特許に触れないように開発を指導することが出来ました。
フィルムの幅を倍の70ミリにして1コマの面積を大きく取り、撮影・上映スピードも毎秒40コマ。1ラウンドを30秒で構成することにして、6ラウンドのすべてを納めるためには、試合の前後を含めて4分間。そのために必要なフィルムの長さを1000フィートと弾いてフィルム会社に特注しました。
ところが、映写機の開発で問題となったのはフィルムの重さです。レイサム父子の「キネトスコープパーラー」でボクシングを見せていたフィルムは35ミリ幅ですが、1ラウンド1分間をそのまま見せられる150フィート(通常は50フィート)の特別仕様で重さは300グラム程度。
この長さと軽さでは問題にならなかったことが、4キロほどもある1000フィートの70ミリフィルムを掛ける必要があるその映写機では大問題でした。長すぎるフィルムは掛け流しのままにする訳にはいかず、巻き取りリールは必須となりました。
●長時間連続上映を可能にした「レイサムループ」とは
それにしてもこの重さは並ではありません。フィルムはもちろん手回しです。映し始めはフィルムが重すぎるために突っ張ってしまい、うまく回せず、パーフォレーション(フィルム両側の孔)が破れてしまいます。無理をして回したらフィルムが切れてしまうのです。
フィルムの巻き量が上下均等になったあと、つまり、下の巻き取りリールの方にフィルムが溜まってくると比較的うまくフィルムを運ぶことが出来るようになるのですが、これでは安定した映写には遠く及びません。
●「パントプティコン」1895 右が光源、左が映写レンズ
1000フィートのフィルムのために、供給リールと巻き取りリールが考案されている。
この問題を解決したのがフィルムの"あそび"です。つまり、フィルムを装てんするときに、レンズ位置にかかる上下に数コマ分のたるみ(ループ)を付けることによって運行に余裕を持たせたのでした。このちょっとしたアイディアが長尺フィルムの撮影・映写を可能にし、のちにストーリーのある長編映画の実現につながります。これが考案者の名をとって「レイサムループ」と呼ばれるものです。
●左/上の供給リールの左、Loopと小さく書かれたところが「レイサムループ」
右/8ミリ映写機のレイサムループ 上下に設定。
こうしてディクスンは、自分が望んでいた上映式の機械を、以前エディスンのところで作り上げた「キネトグラフ」に似ても似つかないどころかそれをはるかにしのぐ高機能で、他に先駆けて完成させることができました。もちろん、エディスンの特許を侵害しているはずはありません。
レイサム父子はこの映写機の事業化のために会社を興し、ディクスンも出資することにしました。レイサム父子は早速新人のボクサー二人と契約を結び、6ラウンド4分間一挙上映用のフィルムを撮り上げました。
この撮影機は比較的小型軽量に設計されていたので、野外に持ち出して、公園で遊ぶ少年たちの様子や、周りで憩う大人たちの姿を撮影することも出来ました。彼らはこの映写機を「パントプティコン」と名づけて、4月21日に新聞社を招いて公開上映を行いました。
●エジソン、「パントプティコン」に横ヤリ
一方エディスン側は、ウッドヴィル・レイサムが「キネトスコープ」の得意先であるところから、エディスン取巻きの弁護士集団は常にその動向を注視していました。またその配下の金で動くような連中からの情報も、逐一ギルモアの耳に入ってきました。それにより、ディクスンが裏で「パントプティコン」開発に力を貸していることは十分掌握していました。
ちなみに当時のエディスンの会社では、総帥エディスンの下で、先に述べた営業のベテラン、ウィリアム・ギルモアが取締役として実権を握り、特許・法律関係では「ダイヤー&ダイヤー」社がその任務を担っていました。
同社の代表リチャード・ダイヤーはエディスン社の最高顧問弁護士であり、物理と化学を得意とする弟のフランク・ダイヤーもエディスン社の主任顧問弁護士として在籍していました。
こういった法制の表も裏も知り尽くしたそうそうたるメンバーが、影に日向にエディスンの特許紛争に関わlり、これまでにも「訴訟のエディスン」とささやかれるほどあちこちで特許訴訟の火の手を挙げていたのです。
「パントプティコン」公開の翌日、早くもニューヨーク・サン紙にエディスンのコメントが発表されました。
「レイサム機はキネトスコープの模倣。告訴を辞さず」
記者の取材に答えたエディスンの談話のあらましは次のようなものです。
「その撮影機の仕組みは私のキネトスコープそっくりである上、映写もキネトスコープを使って私が最初にやったことだ。私たちはすでに6ヶ月も前にそれを実現している。その改良版をキネトスコープの名称で使うならともかく、別の名称で国内上映するなら、それは特許の侵害となる。場合によっては告訴することになるかもしれない」
そして更に
「我々は2、3ヶ月のうちに、より完璧な上映式キネトスコープを作り出すだろう。その時にはスクリーンに映る人物は等身大になるはずだし、動きと同時に声を聞くこともできるだろう」
エディスンの頭の隅には、以前1889年のパリ万博から帰った時にウィリアム・ディクスンが「お帰りなさい、エディスンさん」と言いながら見せた上映式「キネフォノグラフ」のイメージが浮かんでいたに違いありません。 ★1
●ディクスンが作った上映式「キネフォノグラフ」による、
自作自演の「ディクスンの挨拶」1889
特許というものは実に難しい。すでに述べたようにエディスン研究所では〈動く写真〉の開発はディクスンに任され、「キネトスコープ」はディクスンが開発し、上映式もディクスンが実現していたものです。
ただ、このように実際にはディクスンが手がけたものを、その代表者であるエディスンが「私がやった」ということはあながち間違ったことではないのかもしれません。
例えばこの数年後に登場することになる自動車の「フォード」も「ディズニー」のアニメーションも、その事業体のトップの名前がブランドの名称として使われています。エディスンはその先駆けといえるのでしょう。
●トーマス・エディスン
●<上映式>に遅れをとったトーマス・エディスン
エディスンの名前が付いた会社はいろいろありますが、例えばGEも最初は「エディスン・ゼネラルエレクトリック・カンパニー」でしたが、1892年に会社の合併によりヘッドの「エディスン」が外されることになったとき、彼の落胆振りはかなりのものだったと伝えられています。それほど自分の名を付けることにこだわり、面子を重んじるエディスン。
「キネトスコープ」の代理権を与えているチャールズ・ラフとフランク・ギャモンの「ラフ&ギャモン商会(キネトスコープ社)」★2からは、「上映式キネトスコープを早く作ってくれなきゃ、もうやってらんないよ」と矢の催促です。
「間もなく上映式を出す」。エディスンは新聞にはそう公言したものの、実はディクスンが去ったため、<上映式>実現の見通しはまったく立っていなかったのでした。
ところが、窮すれば通ず、天は天才に味方した・・・かどうかは分かりませんが、そんなエディスンの元に、思いもかけない朗報が飛び込んで来ることになります。
つづく
■関連記事
http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-12
★2 ラフ&ギャモン
http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-19
なんと「遊び」ですか?
素人考えでは、ピンと張った方がと思ってしまいます。
何事にも・・・人生にも、遊びは重要なものですね!
by 駅員3 (2015-04-30 13:43)
駅員3さん、こんばんは。
駅員さんは16ミリ映写機の許可証をお持ちでしたね。昔は映写機にフィルムを掛ける時には、かならずフィルムを挟むアパーチャー部の上下に2か所、フィルムにたるみをつけたものです。オートローディングの時代になって、映写機が自動でやるようなりましたが。
ピンと張っていたら、たちまち突っ張って、切れてしまいます。人間と同じですね。ゆとりと遊びは不可欠ですね。笑
by sig (2015-04-30 19:27)
最後のドラマ仕立てるな演出が
たまりません。
はやく続きを読みたくなります。
by 響 (2015-04-30 22:25)
なるほど・・・巻取りの遊び・・・レイサムループは送り出しリールと巻取りリールの回転誤差の緩衝の為ですか・・・
私はフィルムの冷却の為かと思っていました。
当初の映写機は上演時間が短いこともあって、巻取りリールがなかったんですか。それでも映写が済んだら、巻き戻すのか大変だったでしょうね。 ^^;
by 般若坊 (2015-04-30 22:53)