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031 映像は、魔法に近いものなんだ。ジョルジュ・メリエス [技術の功労者]

031 映像は、魔法に近いものなんだ。
    ジョルジュ・メリエス 

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●時代背景 19世紀末、セレブの社交生活

 
これまでに述べてきた〈動く写真〉。それは、エディスンの「キネトスコープ」による<覗き見式動画>に対抗するように浮上してきた<上映式動画>への渇望が高まった時点から、単なる動画ではなく「映し画」、つまり「映画」へと明確に舵を切ったのでした。この点が今日、「動画」と「映画」を認識する上で大事な点だと思うのですが、これまでは〈動く写真〉を機械的側面(ハード面)から見てきました。それは、装置ができて初めて映画が作れる訳ですから致し方のないことでした。

 さて今回は、のちに映画発明者としての栄誉を担うことになるリュミエール兄弟と友好を保ち、「表現としての映画」(ソフト面)を牽引していくことになるジョルジュ・メリエスについて、簡単に押さえておくことにしましょう。


●マジックのステージに新しい表現によるトリックを。
  ジョルジュ・メリエスは1888M21
)年以来、パリ中心街の一角に「ロベール・ウーダン劇場」というマジック専門のシアターを持っており、彼自身マジシャンであり、興行師でもありました。
  「ロベール・ウーダン劇場」とは、その名が示す通り魔術師と称えられたマジックの奇才ロベール・ウーダンの劇場だったのですが、それを故あってジョルジュ・メリエスが譲り受けたのでした。


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●ロベール・ウーダン劇場                        ●ロベール・ウーダン 

  メリエスは、ステージに「マジックランタン」(幻灯機)1を早くから採り入れて、映像によるトリックの演出を積極的に行いました。また、オッフェンバック、ベルレーヌ、モローといった芸術家たちとも交流があるインテリで、その洗練された感性は、それまで奇術、魔法、魔術と呼ばれてイカサマ呼ばわりされることもあったマジックのいかがわしさを払拭。ある種芸術的な出し物としての評価が高まっているところでした。
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●ジョルジュ・メリエス 自作自演のステージはそのまま映画に引き継がれる。  

  実際彼のステージは、単に奇をてらった出し物を見せておしまいではなく、ストーリー展開はもちろん、ステージ上の舞台装置、照明はもちろん、彼自身が演じるコスチュームのデザインに至るまで、高度な芸術的・演劇的手法が採り入れられていました。
  彼が〈動く絵〉〈動く写真〉という新しいメディアの台頭を知った時、自分の想像する奇想天外な物語をその手法で綴ってみたいと考えたことは十分に想像できます。
  
●メリエスの関心は動く映像に向けられていた
  1888(M21)年。彼は近くのグレヴァン蝋人形館でエミール・レイノウによる「テアトル・オプティーク(光の劇場)」2の公演があると聞くと、早速出かけて行きました。
  そこで絵が実際に動くことを見たメリエスはいたく感動。興奮のあまりレイノウに面会して絶賛したくらいに「動画」に心を動かされました。メリエスはマジック愛好家からプロのマジシャンになったくらいですから、新奇なものをいち早く自分のステージに採り入れることには人一倍積極的な人物だったのでしょう。

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●「テアトル・オプティーク(1888)」とエミール・レイノウ

  『レイノウの「テアトル・オプティーク」では、確かに等身大の人物が動いて見えた。残念ながら、それは写真ではなくて絵だったが。あれが写真であれば、早速自分のマジックのステージに採り入れるものを……。』
  けれども、世間にはまだ、彼の求めに応じられるレベルの映像装置は生まれておりませんでした。彼は自分でも〈動く写真〉について研究を始めることになります。

●メリエスも「キネトスコープ」と出会った。
  1894M27)年5月。そんなメリエスのところに、マジシャン仲間の友人が、50年代と思しき男性を伴って訪れました。彼らは最近パリにオープンしたばかりの「キネトスコープパーラー」3で、エディスンの動画装置を覗き見てきたところだというのです。
  男性は1880年代に乾板写真が実用化されたころから乾板や印画紙の製造をはじめ、今ではリヨンに300人の従業員を擁する写真工場を構えているアントワーヌ・リュミエールと名乗りました。
  「私には二人の息子があって、兄は化学、弟は物理学の学位を持っています。私は今はその工場を二人にやらせています。その二人に私は〈動く写真〉の開発を勧めたのですが、二人とも興味をもって進めています。実はここだけの話、あともう少しというところまで来ているんですよ」。そう。前回の最後にちょっとだけ紹介した、あのリュミエール兄弟のお父さんです。
  
  メリエスも「キネトスコープ」の名は聞き及んでいましたから、たちまちみんなで動く写真談義が始まりました。この日はもっぱら「キネトスコープ」で〈動く写真〉を見たときの驚きが話題になったようでした。

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●「キネトスコープパーラー」と「キネトスコープ」1894.4~

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●アントワーヌ・リュミエール                ●オーギュストとルイのリュミエール兄弟

●<覗き見式>ではだめ、ということで意見は一致。
  ところが7月になったある日、メリエスを訪れたアントワーヌはかなり興奮していました。「メリエスさん、見てください。アメリカに発注していたキネトスコープが届いたんです。12本のフィルムもいっしょです。息子たちに見せるために取り寄せたんですが、その前に劇場の皆さんにも、と思いましてね」。こうしてジョルジュ・メリエスは初めてエジソンの「キネトスコープ」に接することになります。

kinetoscope2small.jpeg●「キネトスコープ」を覗き見る客

  「どう思います?」と意気込んで聞くアントワーヌにメリエスは、「これは確かに面白い。新らしもの好きが喜ぶでしょう。でも、この映像がスペクタクルなものになるには、箱の中では無理でしょうね」と極めて冷静に答えました。メリエスもまた、画面の人物が等身大に拡大できない<覗き見式>では、自分のステージには無用、と考えたのでした。
  「そこですよメリエスさん。私の息子たちが、きっとそれを成し遂げて見せるでしょう」。アントワーヌ・リュミエールは胸を張って答えました。

  翌日アントワーヌ・リュミエールはリヨンの会社に「キネトスコープ」を持ち帰り、二人の息子たち……オーギュストとルイのリュミエール兄弟に見せました。これが縁で、アントワーヌ・リュミエールを介してリュミエール兄弟も、ジョルジュ・メリエスと親しく言葉を交わすようになります。

●研究者の数だけ映写機が誕生
  とにかく1895M28)年というこの1年は、「映画誕生」に向けての研究が、欧米においてほとんど同じレベルで仕上がっていたという大変な年でした。
  それはヨーロッパにおいて特に顕著でした。原因の一つは、エディスンの「キネトスコープ」の特許がアメリカ限定で、ヨーロッパに及んでいなかったことが挙げられます。

  ヨーロッパの研究者たちは、エディスンに任されてラフとギャモン★4が独占販売を許されている「キネトスコープ」が法外に高価だと知ると、自分で作り上げようとしました。そうした動きの中で、いちばんの問題であるフィルムの間欠送りの仕組みも、それぞれがてんでに考えて、いろいろな方法が編み出されました。

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●いろいろな間欠送り機構が考案された

  これら大勢の研究者のうち<覗き見式>を発展させようと取り組んだ人は一人もおりません。全員が「キネトスコープ」を参考に<上映式>を目指したのです。なんとこの年から翌年に掛けて、数十人におよぶ研究者の数だけ、似たような映写機が誕生したのでした。

  ただその中でドイツの発明家マックス・スクラダノフスキーが考案した2連のフィルムを使う映写機「ビオスコープ」は、ひときわ異彩を放っています。
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●動画の研究の権威でもあったマックス・スクラダノフスキー
 彼は最後まで、映画の発明者は自分であると信じて疑いませんでした。

「ビオスコープ」1895.11月初公開 30秒(無音)

●「キネトスコープ」はハードとソフトのパッケージで。
  とにかく困ったのはエディスン側です。大西洋の対岸のヨーロッパで、こんなに追い討ちを掛けられるとは思いもよりませんでした。それまで、特許を侵害されたら待ってましたとばかりにお抱え弁護士たちが動き、お得意の訴訟を起こしてきたエディスン弁護士軍団ですが、今回はそれができません。

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●トーマス・エディスンと世界初の撮影所「ブラック・マリア」1894

  そこでエディスン側が考えたこと。それはソフトを押さえることでした。エディスン側は、「キネトスコープを買わなければ、フィルムは売れません」ということにしたのです。一種の抱き合わせ販売です。フィルムベースは他から手に入れることはできても、エディスン社がウェスト・オレンジの「ブラック・マリア」★5から生み出しているあの内容と同レベルのフィルムは真似できまい。これがエディスン側が考えた第一段階の市場戦略でした。

  さあ、思いもよらない対抗策に、ヨーロッパの研究者たちは困ってしまいました。機械は作れても、ソフトとしてのフィルムはどのように作ればいいのかわかりません。何を題材に、どう撮ればいいのか、ノウ・ハウというべきものは誰も持っていないのです。まさに映画以前の問題に突き当たらざるを得ませんでした。

  このような混沌を背景にして、1895(M28)年も押し詰まった1228日、いよいよリュミエール兄弟の「シネマトグラフ」初公開の日を迎えることになります。 

             ★次回はようやくリュミエール兄弟と「シネマトグラフ」のお話です。

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●この日がのちに映画誕生の日となる
 リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」初公開のポスターの1種 1895

■関連記事
★1 
「マジックランタン」      http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-04-06    
2 
「テアトル・オプティーク」  http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-04-30
★3 
「キネトスコープパーラー」 http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-19 
★4
 ラフとギャモン        http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-19
★5 「ブラック・マリア」      http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-16

        
    
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路渡カッパ

おはようございます。
上映式の陰にマジックが絡んでくるというのも面白い話ですね。
映写機もまだ手回し、そう言えば撮影機も手回しだったのでしょうか?
子供の頃、撮影の真似をするのに手をぐるぐる回していたような・・・(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2015-04-21 10:43) 

sig

路渡カッパさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
メリエスがマジックのステージに映画を使うことを考えたのは、それ以前にすでに幻燈を使っているので、その延長線で、必然の成り行きなのです。マジックで使う幻影としては、動く像の方が格段に真実味と迫力が出ますよね。
次回の記事に書きますが、1920年代初頭に小型モーターが登場するまでは、撮影も映写も手回しです。誰が廻しても等速になるように、1秒にクランクを2回転というのが決まりになります。
by sig (2015-04-21 14:10) 

green_blue_sky

今の時代なら、いろいろと作れるでしょうが、先駆者のアイデアや実行力には驚きます。先人たちは今考えると、すごすぎます。
どこからアイデアがわき、どう実行したのか聞きたくなります(^▽^;)
by green_blue_sky (2015-04-21 20:05) 

sig

green_blue_skyさん。こんにちは。
本当に私も同感です。そのあたりに感じてこのブログを書いているようなところがあります。調べれば調べるほど、私たちの世代は19世紀の人たちから恩恵を被っているということが分かります。20世紀の私たちは21世紀に何を残すことになるのかが気になります。それが歴史を学ぶことなんだと、当たり前のことながらそのことを身をもって感じています。
by sig (2015-04-22 08:43) 

Silvermac

資料袖手の努力が素晴らしいですね。
by Silvermac (2015-04-22 09:42) 

sig

Silvermacさん、こんにちは。
ありがとうございます。こんなことをもう何年もやっております。
by sig (2015-04-22 12:43) 

風来鶏

シネマトグラフのポスターが、ロートレックっぽいのですが(^^;;
by 風来鶏 (2015-04-22 18:03) 

般若坊

こんばんは。この映画史を書かれるにあたって、大変な情報量をストックされていたんですね。
関係の写真も時代を経たものばかりですので、その意思がなければ集まりません。
エジソンは発明家から進展して、事業家になっていくのがよくわかります。彼の頭の中には、公共の利益・映画の発展の為という発想はなかったんでしょうね!
目的のためには手段を選ばない、往年のいやらしいアメリカが見て取れます・・・ ^^
by 般若坊 (2015-04-22 21:55) 

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