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032 リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」とは [技術の功労者]

032  ようやく真打登場! リュミエール兄弟。

          「シネマトグラフ」


IMGP7862.JPG
●「シネマトグラフ」による撮影風景 1巻約1分を1カットで回し続けて撮影

  は1895(M28)年。「映画の誕生」が秒読み段階に入っている中で、トーマス・エディスンは、頼りにしていた技師のウィリアム・ディクスンに去られた上、ヨーロッパでは亜流の「キネトスコープ」が出回って苦慮していました。
  そんな中で
フランスのリュミエール兄弟は、〈動く写真〉の仕組みを決定づけるための難題をすばらしいアイディアによって解消したことにより、トーマス・エディスンよりも後発でありながら最初の映画と言われるものを撮影。テスト上映を経て
この年の暮れ、後に映画誕生とみなされる一大エポックが訪れることになります。今回はリュミエール兄弟が作り上げたその装置について見てみましょう。

●リュミエール兄弟の才能と恵まれた環境。

 リュミエール兄弟・・・兄はオーギュスト。弟はルイ。二人はフランスのリヨンで、父アントワーヌが興した乾板写真用の乾板や印画紙の製造工場を引き継いで経営していました。
  父の時代には一時経営危機に陥ったこともあったのですが、兄弟が開発した「エチケットブルー」と名付けた新しい製造法による写真乾板が大好評で業績を盛り返し、今では1日50,000枚もの乾板と4,000メートルもの印画紙を生産するほどでした。

1894リュミエール工場感光材調合.JPG
●リュミエールの写真工場における感光乳剤の調合 1894

 
悠々自適の生活に転身した父アントワーヌが、1894(M27)年の夏にフランスに持ち帰ったエディスンの「キネトスコープ」。リュミエール兄弟は、欧米で話題の動画装置に初めて接する興味はあっても、自分たちが向かう〈上映式〉とは異なる方式に、それほど期待していなかったようです。

アントワーヌ・リュミエール1882.JPG lumieres2.JPG  
●アントワーヌ・リュミエール              ●リュミエール兄弟                     

1894 キネトスコープ.JPG  
●エジソンの「キネトスコープ」                      
     


 リュミエール兄弟も、話では「キネトスコープ」のことは知っていました。「キネトスコープ」を開発したとされるエディスンが、時代は<上映式>に向かっているにもかかわらず<覗き見式>にこだわっていること。そしてその真意が、フィルムの間欠送り装置が未熟で画面が安定しない上、シャッターの開角度が狭いために画面が暗くて上映に適さず<覗き見式>に甘んじていなければならないことも推測できました。

『問題はフィルム送りの仕組みにある…。それさえうまく行けば<上映式>は完成だ。広い部屋で大勢がいっしょに楽しむことが出来るようになるんだ。』兄弟の考えは一致しました。

●そのヒントはミシンのカムにあった。

 ここで、後に書かれた兄オーギュストの記述を要約してみましょう。
「ある朝、気分が優れなくて弟の部屋へ行くと、弟はベッドで一睡もしないでそのことを考えていたらしく、ようやくその仕組みを思いついた、と言いました。

 ルイの説明では、それはミシンの布送りだというのです。なるほど。それを聞いて、私が考えていた一時的な解決法は不要なものとなりました。ルイは一夜にしてシネマトグラフを発明してしまったのです」

 「シネマトグラフ」とは、あとで彼らが名づけ、これが「映画誕生」として評価されることになる機械の名称なのですが、その仕掛けはこうです。
 ミシンを踏むと針が下りる時に布は一瞬停止し、針が上がった瞬間に布が送られます。この連続で布が縫われていくわけですが、これは偏心カムの作用によるもので、1877(M10)年にフランツ・リューローが発明し、機械工業では周知の技術でした。ルイはそれを縦位置にすることで、正確なフィルム間欠送り機構に応用できることを思いついたのでした。


間欠.gif
●偏心カムを応用した間欠コマ送りの仕組み
 Eが左回りに回転すると、ABの爪がフィルムのパーフォレーション(穴)にかかって、フィルムを1
コマ掻き落とす。爪が外れた瞬間、コマは停止し、回転シャッターの開口部が通過してスクリーンに投影される。この運動が1秒間に16コマのスピードで継続し、動きとして認識される。



●「シネマトグラフ」は撮影・映写・プリンターの複合機
  リュミエール兄弟は早速ハードの開発に取り組みました。前提として、すでに発表されていたエチエンヌ・ジュール・マレーの「フィルム式クロノフォトグラフ」3やウィリアム・フリーズ・グリーンの「立体映画撮影・再生機」4の仕組みのように1台で撮影と映写の両方ができるものとし、更にプリントも行える機能を付け加えることにしました。

 つまり、撮影機、映写機、プリンタと三拍子揃った複合機です。ネガフィルムで撮影し、ポジフィルムに焼き増しできるプリント機能は写真業であるリュミエール兄弟ならではのアイディアで、少なくともここには何本ものフィルムを複製して活用する、という考えが反映されていた訳です。


IMGP7855.JPG●左は撮影機(カメラ)として使う場合IMGP7857.JPG
●撮影機を開けたところ。17m(50ft)の生フィルムは箱の中で巻き取られる。
 撮影時には、ハンドルは裏ぶたを閉めた外から差し込んで操作する。
 映写機として使う場合は、この状態の背後にランプハウスを設定し、フィルムはそのまま下に流す。
 

●複合機ならではの数々の新機構
 ところで、撮影・映写兼用機として使う場合に大事な問題はシャッター羽根です。撮影時にはクリアな画像を得るために切り込み(スリット)は狭く、映写時には明るい光量を維持するために広い方が良いのです。リュミエール兄弟はその両方を使い分けられるように回転シャッターを2枚合わせにして、スライドさせることによって開角度を変えられるようにしました。シャッター羽根の開角度はもちろん、撮影時における露出の調整にも役立ちました。

IMGP7854.JPG●2枚組回転シャッター羽根

 次にフィルムです。リュミエール兄弟はニューヨークのセルロイド会社から生地原反を購入すると、フィルム幅を35ミリとしました。フイルム送りのためのパーフォレーション(フィルム両脇の穴)は、最初、1コマに付き1つでした。けれどもフィルム走行の安定性を考慮して、すぐに1コマにつき4つずつにしました。フィルム1本の長さは17メートル(50フィート)とし、すべて自社で作り上げましたが、その品質を決める感光乳剤は、当時のイーストマン社のコダックフィルムの質をしのぐものだったようです。

 なお、上記のフィルム規格は意図的か偶然か、エディスン研究所に在籍していたウィリアム・ディクスンが考案し、「キネトスコープ」で使用されている規格と全く同じものでした。
 この点について、のちのリュミエール兄弟は、「フィルムの仕様はたまたまそうなったこと。長さは巻いたフィルムがそれまでしか収容できなかったから」と言ったことが伝えられていますが、このあたりもエディスン側からの特許関連の横槍を憂慮した答えのように思えます。
 ただ、ウィリアム・ディクスンが開発したフィルム規格を、のちに映画の発明者と認定されるリュミエール兄弟も用いたということが、「映画フィルムは幅35ミリ/1コマ4パーフォレーション」という国際規格を決定的なものにしたと考えられるのではないでしょうか。

35ミリフィルム ディクスン.JPG
●ウィリアム・ディクスンが考えた35ミリフィルム規格
 リュミエール兄弟もこの規格に習い、今日まで映画フィルムの国際規格として通用。


●撮影スピードは
1秒間に16コマ

次は撮影スピードです。「動く写真」の研究者たちはそれぞれいろいろなスピードでテストしていましたが、リュミエール兄弟も彼らと同じテストを繰り返さなければなりませんでした。当時はまだ小型モーターが開発されていませんから、撮影は手回しのハンドル操作です。(撮影機にモーターが搭載されるのは1910年代に入ってからです)

エディスンの「キネトスコープ」は1秒46コマ。それは間欠送り機構を備えていないため、画面のチラ付きをㇱャッターの回転スピードで視覚的にごまかすためのスピードでした。「シネマトグラフ」はもっと遅くていいはず。そこで110コマまで下げてみましたが、これでは遅すぎ。結局1秒16コマのスピードで落ち着きました。
 これは結果的に、「視覚の残存時間は1/101/20秒」とするタンドールの実験結果を支持するものでした。「シネマトグラフ」のハンドル操作は、1秒2回転で設計されました。


●光源はアーク灯。集光レンズに絶妙のアイディア

 次に、映写機として使用する場合です。フィルムの後ろに光源を設置する必要がありますので、映写の時にはカメラ部の裏ぶたを開いて、その後ろにランプハウスを配置します。

 大勢に一度に見せるための高い照度を得るためにアーク灯を使うことにしましたが、集光レンズの役割を、なんと、水を入れたフラスコに担わせたのです。これによって発火しやすいフィルムに当たる熱を和らげるという一挙両得の構造を実現したのでした。

1895 シネマトグラフ図解2.JPG1895 シネマトグラフ レプリカ1.JPG
●このレプリカではフラスコより進化した大型凸レンズが採用されている。
IMGP7866-2.JPG

 映写には技師が当たり、撮影時と同じ12回転の速さでハンドルを回します。50フィートのフィルムの上映時間はおよそ1分足らずです。機械には巻き取りリールは無く、レンズ前を通過したフィルムはそのまま下の箱にとぐろを巻き、上映後にリワインダーを使って巻き戻すという原始的な仕組みでした。

 「シネマトグラフ」はここに、1秒に2回転というハンドル操作をよどみなく1分間継続できる特技を擁する撮影技師(カメラマン)と映写技師という新しい職業を、将来的に生み出すことになります。(当初は同一人物の役割でしたが)

IMGP7859.JPG 1895 シネマトグラフ レプリカ4.JPG
●左/「シネマトグラフ」と映写技師 
   手回しで上映スピードを一定に保つ熟練者。フィルムはそのまま下へ。
 右/「シネマトグラフ」のフィルム通過部

   

●移動可能なカメラで野外ロケのフィルムメーキング

リュミエール兄弟と父アントワーヌには、機械の開発と並行して準備しなければならないことが山積していました。1895年3月22日、パリの科学振興協会で最初の公開を行った後も何回かの小規模な公開を行って話題を高めながら、何とか年内(1895年中)に初めての一般上映会を、それも興行という有料の形で行いたいと考え、多忙な中で会場探しやポスター作りの手配なども進めていました。

 その一方でソフト、つまりフィルムメーキングもしなければなりません。リュミエール兄弟の開発した「シネマトグラフ」は、エジソンが「ブラック・マリア」★5の床にデンと据え付けている1トンもの撮影機とちがって小型軽量でしたから、木組みの三脚をつけて容易に外でロケをすることが出来ました。
 初めて完成した「シネマトグラフ」でリュミエール兄弟が撮影した風景。それは、いちばん身近な自分たちの工場の出口であり、父アントワーヌの別荘がある最寄り駅のホームであり、自宅の庭などでした。

こうして年内ぎりぎりの1895M28)年1228日を目標に、リュミエール兄弟はハード、ソフトともに万全の体制を整えて臨めるよう、その準備に余念がありませんでした。

1895 シネマト ポスター2.JPG
●「シネマトグラフ」公開に向けたポスター
 
 その頃アメリカでは、エディスンと袂を分かったウィリアム・ディクスンが、転職先のレイサム父子★6がその後の映画発展に不可欠な画期的な方法を編み出すのを助け、彼らといっしょに新しい会社を興す準備を着々と進めていました。
 その会社は<覗き見式>の「キネトスコープ」一辺倒で進んでいるエディスン社を圧倒する、強力なライバルとなって立ちはだかってくるのです。エディスンとディクスンの確執はまだまだ続きます。
             
                                                 つづく

4 edison 13.jpg    ウィリアム・ディクスン.JPGウッドヴィル・レイサム 1831-1911.jpg
●トーマス・エディスン             ●ウィリアム・ディクスン          ●ウッドヴィル・レイサム

■関連記事

1「キネトスコープパーラー」http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/index/2
2「キネトスコープ」http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/index/3                               

3「フィルム式クロノフォトグラフ」 http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-04    
4「立体映画撮影・再生機」http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-07-25
5「ブラック・マリア」 http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/2009-08-16
★6
レイサム父子http://moviechronicle.blog.so-net.ne.jp/archive/20150419            

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kemm

映画=エジソンぐらいの認識しかなかったのですが・・
リュミエール兄弟と「シネマトグラフ」が本当の先駆だったのですね。
それにしても凄い調査研究の集大成に感嘆です。
by kemm (2015-04-23 06:32) 

sig

kemmさん、こんにちは。
私の世代は「映画の発明者はエディスン」と教わり、信じて疑いませんでした。映画の歴史に興味をもって初めてリュミエールの名を知った次第です。このことがかえって映画前史への興味を駆り立てました。
動画の先駆と言えば、これまでに記した通りエディスン以外に大勢おりますし、映写できるいわゆる「映画」はリュミエール兄弟に先を越されています。後で書きますが、そのリュミエール兄弟にしても、最初に「上映」した人たちではないのです。どこが分かれ目なのか、ということなんですね。
コメントありがとうございます。
by sig (2015-04-23 08:21) 

路渡カッパ

それまでにミシンの存在が無かったら・・・映画の開発ももっと遅れたかも知れないのですね。
面白いものですね。リュミエール兄弟のFirst films作品を
YouTubeで探して観ましたが、それまでとは別ものの出来ですね♪
by 路渡カッパ (2015-04-23 12:12) 

lequiche

昔、リュミエールという蓮實重彦編集の雑誌がありましたね。
私は1冊だけ持っていますが、リュミエールが何かを知らず、
後になって、リュミエール兄弟へのリスペクトの意味があるのか
と知りました。
by lequiche (2015-04-23 12:53) 

sig

路渡カッパさん、こんにちは。
いちばんのブレークスルーは、やはりセルロイドの長尺ロールフィルムですね。それからミシンに想を得たコマ送り装置。次に後でお話しする、長尺フィルムをスムーズに送る手法、、、と言ったところでしょうか。その間、光源も改良されますが、動力は手回しが続きます。1920年代初頭まで、小型モーターが無かったからなんですね。
このように、映画はあらゆる分野の最新技術の寄せ集め、集大成と言うところが面白いですね。
by sig (2015-04-23 17:25) 

sig

lequicheさん、こんにちは。
私が映画史、それも映画前史に興味を持ったのは25年ほど前ですから、それまでは単なる観客で、映画評論を読むこともあまりなかったので、「リュミエール」という本も蓮實重彦もそのころようやく知ったのでした。
蓮實重彦さんの「リュミエール」はおっしゃる通り、リュミエール兄弟および彼らが確立した映画と言うメディアに対する「リスペクト」であると思います。
通常、映画作家の場合、尊敬する先輩監督の作品に敬意を込めた自作は「オマージュ」という言葉を使いますが、蓮實さんの場合はフィルムではなく書物であるため「リスペクト」の言葉が合う気がします。
ただ、「リュミエール」とは「光」の意味ですから、蓮見先生の「リュミエール」は、いわゆる映像全般に対するリスペクトなんでしょうね、きっと。
by sig (2015-04-23 19:46) 

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