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014 同じことの繰り返し、どこが面白い? [絵を動かす試み]

014 エンドレスから、起承転結の物語へ。
科学的に考えられた動く絵-3
「プラクシノスコープ」「テアトル・オプティーク」

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●時代背景 ジャン・ペロー「舞踏会」(部分)1878  大好きな絵です。いいですねえ、紳士淑女のこの風情。

 「影を動かす」から「絵を動かす」へ。1
830年代に始まった新しい動画の試みは、平らな円盤に絵を書き並べた「フェナキストスコープ(フェナキスティスコープ)」に始まり、その改良版の「ヘリオシネグラフ」を。更には連続絵を円筒状に配置した「ゾートロープ」を産みました。「ゾートロープ」も改良され、「プラクシノスコープ」が誕生します。けれどもそれらはみんなエンドレス。同じ動きの繰り返しです。しかも家族や友達としか見られない。なんとか物語のある動く絵を大勢の人たちに楽しんでもらえないだろうか…そう考えた人が現れました。


●「プラクシノスコープ」
1876~1881(M9~M14)
 「動く写真」が登場する直前、「動く絵」と「動く写真」のはざかい期に登場したのが「プラクシノスコープ(プラキノスコープ)」です。前回に述べた「ゾートロープ」を発展させたもので、考案者はフランスのエミール・レイノウ。

 「ゾートロープ」は12枚の絵の帯を内側にセットした円筒を回転させ、円筒に開けられたスリット(隙間)から覗いて見るものでした。
それを彼は、「ゾートロープ」の基本はそのままに、中央に絵と同じ数のミラーを付けた多面形のシリンダをセットし、そのミラーに映った絵をそのまま眺められるように改良しました。これにより、絵がとても見やすくなりました。また、シリンダの真上にランプを取り付け、夜もみんなで楽しめるようにしました。
  そこで1878(M11)年のパリ万国博覧会に出展すると大好評。1879年には本格的に商売にしようと工房を起こし、たび重なる改造を加えて行きます。

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●「ゾートロープ」(左)から「プラクシノスコープ」(右1876)への進化

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プラクシノスコープ.JPG IMGP7101.JPG
●上 /「プラクシノスコープ」1879
 下左/右上が覗き窓。黒い板の表が鏡で背景画が映り、
    その奥に女の子が見えるという趣向。
 下右/絵のロールのいろいろ(部分)

 1879年になると彼は、「プラクシノスコープ」のシリンダと覗き窓の間に「前景」を取り付けました。これを覗くと、前景である窓の絵の向こうの庭で、少女にじゃれつく子犬の姿が見えるという訳です。エミール・レイノウの目的の一つに、絵の立体化も考えられていたのではないかと思われます。


●「動く絵」と「動く写真」のはざまで
 レイノーが「動く絵」の投影技術と格闘している頃、1878(M11)年にイギリスの写真家チャールズ・ベネットによって現在の写真の元となる乾版写真の技術が完成しました。露光時間が数百分の一という高速シャッター可能、ガラスではなく印画紙に焼付け可能という画期的なものでしたから、写真家に限らず自分の実験を動画で記録しようという科学者も出てきました。実はその中から映画の誕生に直接つながる発明が次々と登場するのですが…、ところがレイノウは、その新しいテクノロジーに飛びつこうとはしませんでした。

1870年代のカメラマン.JPG
●1870年代末~1880年代初期のカメラマン


●「投影型プラクシノスコープ」
1882(M15)  
 
時代は、「動く絵」が個人で楽しむものから大勢で楽しむ方向へと変わろうとしています。レイノウが取り組んだのは写真の採用ではなく、一度に大勢が楽しめる投影方式に向けての改造でした。

 さて、その仕組みは、
本体の上部にガラスに書いたエンドレスの絵を設置して中心部のミラーに反射させるところまでは「プラクシノスコープ」の仕掛けとまったく変わりません。
 変わったところはその絵に強い光を当てて、ミラーに映った反射をレンズを通してスクリーンに投影するようにしたのです。

 
では背景はどうするか。背景は動かす必要がありません。レイノウは本体の脇に背景専用の幻灯機を取り付けました。こうすれば背景と動画が合成されてスクリーンに映るというものでした。この成功は次のステップに彼を向かわせました。

1882プラクシノスコープ.JPG
●「投影型プラクシノスコープ」1882


●単純な動画からストーリー動画へ
 
時代が少しずつ絵から写真へと移行し始めていましたが、彼は依然として「絵」を動かすことにこだわっていたようです。それは彼自身絵が得意だったということもあるようですが、本当のところは「これまでのような単なる動作の繰り返しじゃだめだ。なんとかストーリーのあるものを」と考えていたのではなかったかと思います。

 こうした考えは当時としては誰も抱いていなかったようですし、考えたとしても機構が難しすぎて手をつけられなかったのではないでしょうか。後のことになりますが、創生期
の映画がストーリーを備えていなかったことを考えると、これは大変な着想だったと思うのです。


●「劇場用投影型プラクシノスコープ」
1888(M21)
 
単純な動きの繰り返しから物語をもつものへ。それは円筒によるエンドレスの
繰り返し運動との決別を意味します。物語には時間の経過が伴います。それを満たすには物語が必要とする長さの動きと絵が必要です。それまで「プラクシノスコープ」に掛けて見ていた絵の輪を長くするしかありません。どのように? 

エミール・レイノー.JPG
●エミール・レイノウ

 
こうして数年に及ぶ試行錯誤の末に新しい「改良版投影型プラクシノスコープ」が完成しました。まず彼はガラスをやめて、柔軟性のある透明なゼラチンの薄板に絵を描くことにしました。また、絵を連続的につなげるために、ゴム引きされた丈夫な布製の帯を考えました。そして、600枚にも及ぶ絵を自分で書いて、その帯に等間隔にはめ込みました。それを巻き込むための送り出し軸と巻き取り軸も設定しました。正確にコマが送れるように、当時流行の自転車のチェーンにヒントを得て、絵と絵の間の布枠の部分に穴を開けて、中央に置かれたドラムの突起とかみ合わせて回転させる方法を考えました。これらはすべて、硬いガラス板ではできなかったことでした。

 もうご承知のように、ゼラチンの帯は今日のフィルム。布に開けた等間隔の穴はフィルムのパーフォレーション(フイルム送りの穴)に当たる考案でした。投影方式はリアスクリーン(スクリーンの後ろから映写)。背景を別の幻灯機で二重写しにする方法は「プラクシノスコープ」と同じでした。これらはすべて、大きな会場で上映することを前提に設計されていたのです。

1893テアトル・オプティーク.JPG
●投影型プラクシノスコープによる「テアトル・オプティーク」


●「テアトル・オプティーク(光の劇場)」
1888(M21)
 
1888年10月、彼は招待者を集めてこの「改良版投影型プラクシノスコープ」の試写を行いました。そこで上映された作品「うまい一杯のビール」は14~15分にもおよび、観客は初めてストーリーのある動画に触れて大喜び。それは興行としての成功を約束するものでした。こうして生まれたのがエミール・レイノウの「テアトル・オプティーク(光の劇場)」です。

レイノーのシアターオプティーク.jpg
●「テアトル・オプティーク」のポスター


●再現映像「脱衣小屋の周りで」(無音)41秒 




 
今の常識で考えると、たかだか600~700コマの絵で10数分も?、と疑問に思われるかもしれません。その秘密は彼のマシンの操作法にありました。彼は一定の速度で絵を送った訳ではなかったのです。操作は手回し。速度は自由です。早く進めたり、遅く回したり、ちょっとの間停めてみたり、逆に回してまた戻す、それを繰り返す、というように観客の反応を見ながら操作したのでした。スクリーンに投影された絵、それは完ぺきなアニメーションでした。

 試写は成功し、「テアトル・オブティーク」は翌1889年のパリ万国博覧会に出展されました。それまで回転によるエンドレス動画しか知らなかったパリっ子たちは、動画によって演じられる物語に大喜び。
 この会場には、後に登場する主要な人物が姿を見せているのですが、当時45歳のトーマス・エディスンもその一人。彼は当時、技術助手のウィリアム・ディクスンに「動く写真」の研究を任せていたのですが、そのお話はこのブログではずっと後のお楽しみに。

エジソン1883 36才.jpeg●トーマスエディスン
  

 さて、パリ万博で好評を博した
レイノウは1892(M25)年の秋から1900(M33)年まで、パリのグレヴァン博物館を根城に、カラー・アニメーション「哀れなピエロ」「脱衣小屋の周りで」「道化師と犬」などの作品を超満員の観客の前で上映して見せたのでした。

 このように1880年代は、一方ではエミール・レイノウに見られるような絵を動かす研究。また一方では乾式
写真の登場によって、写真を用いる動画の研究が同時に進んでいました。
 写真を使う動画のはしりについては、前回、1870年の「ファスマトロープ」で少し触れましたが、次回はこれからの話の軸となる写真について、簡単に触れておくことにしたいと思います。












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アヨアン・イゴカー

面白い動画ですね。少ないが故に、制限された画像を最大限に利用することになり、それが魅力になっているように思います。ピアノの素朴な伴奏も味があります。手作り感、手の届くところにあることもその魅力かもしれません。
単純で短い作品を作ってみたいと思っています。
by アヨアン・イゴカー (2015-03-09 00:56) 

駅員3

映画・・・というより動画の裏にこんな隠れた歴史があるなんて、想像だにしませんでした。
これは先人たちの動画にかける情熱がsigさんの記事を通して、ひしひしと伝わってきます。
by 駅員3 (2015-03-09 07:18) 

kemm

映画と言うとエジソンと思っていたのですがようやく名前だ出てきましたね。
続きを楽しみに待ちましょうか・・。
by kemm (2015-03-09 09:27) 

sig

アヨアン・イゴカーさん、こんにちは。
そういわれれば、絵の感じといい、音楽の使い方といい、この感覚はどことなくアヨアンさんの動画に通じるところがありますね。ぜひぜひ遊んでみてください。
by sig (2015-03-09 10:36) 

sig

駅員3さん、こんにちは。
映画が生まれる前は、このような動画だったんですね。つまり、アニメが最初と言うことでしょうか。このあと写真が登場して動きを伴った実景を写せるようになり、「映画」という言葉が生まれたようです。でも、このブログではまだまだ先のことになります。
とにかく私の興味は「人はなぜ、こんなものを考え出したんだろうか」です。笑
by sig (2015-03-09 10:43) 

風来鶏

人の脳波は16Hz程度だと言われていますので、1秒間に16枚以上の絵を連続して見せれば、それは“動いている”ように見える訳ですね^^;)
MP3形式の動画のフレーム数が、19枚/秒というのも納得出来ます!?
by 風来鶏 (2015-03-09 13:57) 

響

アニメの原点ですね。
動画を見ましたがあのコマ数で
ギターまで弾いてるのにビックリです。
by (2015-03-09 14:43) 

sig

風来鳥さん、こんにちは。
サイレント映画が16/secに落ち着くまでには高速から定速まで、いろいろなスピードが試されたらしいですね。このレイノウの光の劇場では、1秒3コマということもあったそうです。とにかく手回しですから、場面に合わせて感情をこめて、臨機応変のスピードで動かしていたようです。ここには書きませんてしたが、いわば職人芸であったがために他人には操れないというところが大きなネックになったということです。
by sig (2015-03-09 14:52) 

sig

響さん、こんにちは。
枚数の割にはかなり細かい動きに見えますよね。最小限の枚数によるりミっテッド・アニメーションの神髄を見ることができますね。
カッパくんをGIFアニメか何かで動かしてみたいです。
by sig (2015-03-09 14:56) 

ぼんぼちぼちぼち

「哀れなピエロ」楽しませていただきやした。
貴重なものをありがとうございやす。
なるほど、観客の反応を観ながら操作・・・いいでやすね。
現代、デジタルのアニメーションでやっても面白そうでやすね(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2015-03-09 19:26) 

路渡カッパ

こんばんは。
エミール・レイノウ、名前も知りませんでしたが現代に繋がるアニメ、フィルムの原型も・・・大発明家でもあったのですね。
興行的にも成功、それなりの報酬があればこそ発展したのでしょうね。
そう言えば、初期の日本アニメの動きも繰り返しや足だけが動いていたりして時間を稼いでいたような・・・(^_^ゞ
by 路渡カッパ (2015-03-09 19:53) 

sig

ぼんぼちぼちぼちさん、こんばんは。
「哀れなピエロ」をYOUtubeで、こんなにきれいな画面て観られるとは思いませんでした。デジタルは粋な計らいをしてくれますね。
でも、上映スピードは手動で緩急自在というのは、まさにアナログの特権。デジタルにはまねのできないことですね。笑
by sig (2015-03-09 20:45) 

sig

路渡カッパさん、こんばんは。
映画前史では彼の功績は大変なものなのです。「それなりの報酬があればこそ」・・・ところがそのあたりが、そうは行かなかったようなんです。ステージを提供したグレヴァン劇場の搾取は結構ひどかったらしいです。そのあたりは、もう一度彼にどこかで登場してもらうつもりです。
彼のアニメは手書き・彩色で数100枚ですから、いかに動きを省略するかが大きな命題だったと思います。その枚数の省略法なども、TVアニメに反映していると思います。もっとも、手足だけを動かすという手法は、影絵時代の手法でもありますよね。
by sig (2015-03-09 20:53) 

niki

お誕生日おめでとうございます^^
良い一日をお過ごしください~(o^-^o)
by niki (2015-03-10 12:43) 

sig

nikiさん、こんにちは。ありがとうございます。
nikiさんにも お誕生日おめでとう~~~ございま~す。
by sig (2015-03-10 17:03) 

ちょいのり

ぜんぜん記事とはかけ離れてしまいますがごめんなさい。
コメントいただいた銀座ニュートーキョー。
実は自分の大好きなおばあちゃん(享年93)がかつて勤めていた場所なのです。
後年聞いた話ですが、数年しか勤めなかったおばあちゃんだったけれど、
亡くなるまで企業の年金が払われていたそうで・・・(それ聞いた時はびっくりです。すげー温情あるとこだったんだと)
残念ながら銀座ニュートーキョーのサヨナラには間に合いませんでしたが、
今一度見に行ってみようかと思います。
情報ありがとうございました。

by ちょいのり (2015-03-13 04:07) 

sig

ちょいのりさん、こんばんは。返事が遅れてすみません。
とてもいいお話ですね。ちょいのりさんの大好きなおばあちゃんの仁徳ではないでしょうか。銀座のニュートーキョーの雰囲気が好きでしたが、今度は有楽町駅前になったので行ってみようと思うのですが、ちょっと機会がありません。
チョイノリさんのブログのかわいこちゃんイラスト、大好きです。それに記事内容の濃さにはいつも圧倒されいています。お仕事と同等の力が入っていることを感じて、圧倒されます。
by sig (2015-04-30 00:47) 

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