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007 3Dを2Dに変換する最初のマジック [「映画」が成り立つためには]

007 3Dを2Dに変換する最初のマジック
それは「投影」から始まった①
カメラ・オブスキュラからマジック・ランタンへ

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●chaos

 ようやく「映画前史」についてお話しする段階になりました。
 
映画前史とはつまり映画史以前のことですが、前回に記した通り、映画はいろいろな分野における発明が蓄積され、やがてそれぞれの相関関係が発見されることによって異なる分野の技術が縄のようによられて実現したものと言えます。

 
従って長期的に多岐にわたる発明発見をただ年代順に並べてみてもそれらの関係は見えてこなくて錯綜するだけですから、ここでは映画の要素別に展望してみたいと思います。
 
まず、映画の映画たるゆえんである「投影」についての歴史を紐解いてみることにしましょう。


●特定の人種は「投影」の心理的効果を知っていた
 
「光と影」が意識されたときから映像の概念が生まれました。ものを映し出す映像。それは光と影によるまぼろしです。まぼろしを操る訳ですから、それはどこか妖しげなところから始まりました。
 
 
古代において、光と影をつかさどるのは魔術師や預言者の役割でした。アーサー王伝説に登場する魔法使いマーリンも、シェークスピアの「マクベス」に描かれた三人の魔女たちも、火は決して煮炊きするためではなく、特別な妖術を行う場合に使いました。

 
中世においてのそれは教会に仕える聖職者の領分でした。18世紀には降霊術師(スピリチュアリスト)が加わり、19世紀には、有名な奇術師(マジシャン)たちが自分の舞台効果を増大させるために積極的に光と影を操作する装置を採り入れようとしました。

P1100339.JPG 

 
いずれの場合も、光と影を操作すれば、何も無いところから何かを現して見せたり、目の前に見えていたものをアッという間にかき消して見せたり、実際のものより桁外れに大きく見せたりといったトリックが可能です。彼らはそれが科学的な現象であることを知っていました。

 ところが一般大衆は科学など知りません。目で見たものをそのまま信じてしまいます。そこで彼らはそうした科学に疎い人たちにまぼろしを見せ、心理的効果をあおって自分たちの目的を達しようとしました。そのために、最初は動かない絵だったものを、いろいろな工夫を凝らして動いて見えるように見せる研究を重ねて、視覚効果を増幅させていきました。


●三次元(立体)の事象を二次元(平面)に記録する手法の発見
 
「投影」の古い記述は1544年の「カメラ・オブスキュラ」です。ラテン語で「暗い部屋」と名づけられたその装置は、外の景色を小さい穴を通して壁面に投影するものでした。現在のカメラの語源は16世紀にさかのぼることになります。

 映画史に興味を覚えてからその図解を見たとき、「ああ、やはりこれが映画の原点なんだ」と大変感激したものでした。その図には私が小学校に上がる前、雨戸の小さな節穴を通して対面の白壁に写った外の景色に不思議を覚えたことと同じ現象が描かれていたのでした。
★関連記事 http://fcm.blog.so-net.ne.jp/2008-02-19

 
カメラ・オブスキュラ」の原理は、紀元前のアリストテレスがすでに触れているほど大昔から分かっていた現象でした。紀元後にはピンホールカメラの原理で日食を観測する要領が説かれたり、いろいろな科学者が太陽の観測や光学的実験などに利用していたようです。
  レンズは14世紀後半には
すでに眼鏡やルーペとして実用化されていましたから、世界初とされる1544年の図解にある「カメラ・オブスキュラ」には、レンズが付いていたと想定されます。
  

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●世界初とされるカメラ・オブスキュラの図解 1544

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●アタナシウス・キルヒャーによる「カメラ・オブスキュラ」 1646
  レンズを経て壁面の紙に投影された風景をなぞって模写した。

  
15世紀に入ると「文芸復興」と呼ぶルネッサンスの真っ只中で、画家が自然の風景をそのままに描写するための手段として、かなり大仕掛けな装置で絵画が制作されるようになりました。投影された風景を羽根ペンや鉛筆でなぞって下絵を描いていた訳です。これは実景である三次元空間を平らな紙、つまり二次元の空間に置き換える遠近法の描画技法を生み出します。

 カメラ・オブスキュラ」とは、とりもなおさず、3D(立体)の実景を2D(平面)に変換する装置と言うことができます。太古には洞窟の岩肌に描かれた絵が、この手法により、現実の情景をそのまま縮小した形で、持ち運んだり、机上で見ることができるようになった訳です。

  
このテクニックは、
学校や家庭でも広く風景の写生に使われた上、その現象の不思議を娯楽として楽しむことなどもあったようです。 これは写真の原型が16世紀にすでに芽生えていたことを物語っているといえるでしょう。

アテナイの学堂 ラファエロ.jpg
●代表的な遠近法の絵画 ラファエロ「アテナイの学堂」1509-1510 wikipediaより

IMGP6797.JPG●お絵かき教室、かな?

 カメラ・オブスキュラ」というと1646年にローマで「光と影の偉大なる芸術」を出版したドイツの学僧、アタナシウス・キルヒャーが有名です。けれども、実はそれより先にレオナルド・ダ・ビンチも透視図法などに利用したらしく、スケッチが残されているところからカメラ・オブスキュラ」の元祖はダ・ビンチという説もあるようです。 

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●左上/レオナルド・ダ・ビンチ 1452~1519 自画像
 右上/ダ・ビンチによる「ガラス透写機」のスケッチ 1500
 下  /ダ・ビンチが遠近法でリアルに描いた「受胎告知」 1472-73


●一方は写真機へ。一方は映画へ
  
さて、レンズを擁しシャープな画像を映し出す光学装置カメラ・オブスキュラ」は、16世紀以降、二つの方向に向かうことになります。
  一方は映画を上映する「映写機」の完成に向かって。つまり画像のアウトプットです。もう一方は現在のカメラの語源通り、「写真機」の完成に向かって。つまり外景のインプットてす。期せずして「逆転の発想」が行われる訳ですが、さすがに両輪がいっしょに回り始めた訳ではありませんでした。

  まずは
1645年。のちの映写機の原型となるものが「光と影の偉大なる技術」という書物の中で発表されました。その名は「マジック・ランタン」。分かりやすく言うと幻灯機です。この「マジック・ランタン」を発明したのもアタナシウス・キルヒャーでした。

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●アタナシウス
・キルヒャー           初期のマジック・ランタン

  キルヒャーはドイツのイエズス会の学僧と言う立場から、「マジック・ランタン」を布教に活用しようと考えたようです。初期の「マジック・ランタン」は、薄いガラス板に神や骸骨を描いた単駒スライドだったようですが、1671年の改良型「マジック・ランタン」の図を見ると、8枚の絵が描かれた横長のスライド方式になっています。
  これは明らかに物語に添って1駒ずつ場面転換しながら上映したものです。私たちはそこに、映画の原点が物事を語り伝えるためのメディアとしての方向性を持っていたことを知ることができます。

  この「マジック・ランタン」の登場が、映写機の進化と絵を動かすという映画の本筋につながってくるのですが、それはまだまだ先のこと。
   「マジック・ランタン」は電灯が発明される前の暗闇に咲くあだ花。摩訶不思議なイリュージョンの世界。しばらくの間は光と影に踊らされる妖やかしの世界が繰り広げられることになるのです。


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●キルヒャーが1671年に「光と影の偉大なる芸術 Ⅱ」で著した改良型マジック・ランタン
 ガラスに書いた8枚の絵を連続して投影できるように工夫されている

                                                          
                             
  (この項、つづく)






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路渡カッパ

こんばんは。
雨戸の節穴から・・・言われてみて思い出しましたが、私も同じ体験をしていましたよ。(^_^ゞ
テーマに沿った図版や資料を探し出してこられる、恐れ入ります。
こういう資料探しというのは大変なんでしょうね、でも楽しい作業でもあるのかな?(^_-)
by 路渡カッパ (2015-02-17 22:55) 

駅員3

今回も楽しく拝読させていただきました。
映画の源流を紀元前まで求める・・・なるほど。
この歴史は、未来にまで及んでいくのでしょうね。
楽しみです。
by 駅員3 (2015-02-18 07:12) 

sig

路渡カッパさん、こんにちは。
私の人生は雨戸の節穴から始まったのですよ。そんな狭いところから天を覗いていたものだから、こんな狭い人生になっちゃいました。笑
映画技術史をライフワークにしたのは50歳からですから、資料探しはその頃からですね。
by sig (2015-02-18 10:51) 

sig

駅員3さん、こんにちは。
「温故知新」と言いますから、未来を知りたいがために過去を学ぶんですよね。けれどもここでは例によって著作権の壁が立ちはだかっていますから、この「映画前史」は映画が誕生して本格的に稼働し始める1920年代までとしたいと思います。映画についての根源的な事柄は、この「映画技術史」を辿ればある程度把握できる気がするものですから。それ以後今日までのいわゆる「映画史」は私の範疇ではなく、映画芸術論、作家論、作品論等にお任せしたいと思います。
by sig (2015-02-18 11:06) 

SORI

sigさん こんにちは
現代の技術は発明や発見の積み重ねであることを改めて感じさせていただきましたる
by SORI (2015-02-18 11:44) 

sig

SORIさん、こんにちは。いつも楽しい記事をありがとうございます。
本当に、今日の生活基盤をなす技術の多くは19世紀にあらかた出来上がっていたという気がしますね。20世紀は新しく生まれた技術でそれをフレッシュアップしましたが、21世紀はどんな動きを見せてくれるのか、楽しみです。
by sig (2015-02-18 12:40) 

風来鶏

子供の頃、虫眼鏡とボール紙、それにトレース紙で「暗箱」を作り、暗い室内から外の景色を映して遊んだ憶えがあります^^
by 風来鶏 (2015-02-19 21:01) 

sig

風来鳥さん、返事が遅くなり、すみません。
風来鳥さんも幼い時から光学関係に興味が向いたんですね。三つ子の魂、百までですね。笑
by sig (2015-03-14 00:07) 

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